シンポジウム 科学映画のこれまでとこれから
いのちの科学映像が切り拓くもの
アイカムの50年の足跡から考える
2022年11月23日(水・祝) 13:00〜17:00 アカデミー文京学習室
主催:NPO法人市民科学研究室 株式会社アイカム
■「アイカムの歩みをふりかえる」 13:35〜14:00 川村智子
川村:
株式会社アイカムの川村です。会社は50年を超えて、今年で55年に入ったところです。その歴史を30分でというのはどう駆け足しても難しいので、とりあえず、資料として年表を作ってみました。資料の○印は、2018年4月から2021年の7月まで、コロナ禍のせいで長くなってしまい18回に渡り行われた50周年記念上映会で上映した映像作品です。一回の上映会で3本ほどの作品を上映しました。この記録は、アイカムのHPに載っていますので、興味のある方はご覧ください。
例えば、「1969年○『胃を科学する』(第3回)」は、記念上映会の3回目で取り上げた作品という意味です。その右、「高橋忠雄」は監修の先生、「太田胃散」はこの作品をスポンサードしてくれた企業さん。青字は、国際映画祭などの受賞で、「ベニス映画祭のパドバ大学で行われた科学映画部門の1位・銀牛頭賞」、「他」はその他、書ききれないので大部分省略しています。
アイカムの原点
私たちの会社は「1968年8月に株式会社シネ・サイエンスとして創立」されました。「1970年『生命』」という映画を作りたいと、今日、会場にもきています武田、OBの長谷川など初期のメンバーが集まり、立ち上げた会社です。
まず、最初に私たちの会社の原点である『生命』の映画を見ていただきたいと思います。全編をみると少し長いので、今日はハイライトのダイジェストです。
川村:
私たちの会社は「1968年8月に株式会社シネ・サイエンスとして創立」されました。「1970年『生命』」という映画を作りたいと、今日、会場にもきています武田、OBの長谷川など初期のメンバーが集まり、立ち上げた会社です。
まず、最初に私たちの会社の原点である『生命』の映画を見ていただきたいと思います。全編をみると少し長いので、今日はハイライトのダイジェストです。
★『生命 哺乳動物発生の記録』 演出・撮影:武田純一郎
「人類が月に降り立った1969年、私たちはもう一つの宇宙をめざしていた。」
全編をご覧になりたい方は、DVDBOOKをご購入ください。詳細は
こちらへ
川村:
今ご覧になった映像のように、私たちはいのちの科学映像を撮っています。生命に関する、生体の中の世界を撮っています。というと、知らない方は、気持ち悪いとか、体の中など生々しいと思う人もいるようです。しかし、今の映像をご覧になったら、「ああなんて、いのちは美しいんだろう。なんてあたたかいのだろう」と感じられると思います。
1968年に始まって最初の10年間で、50数本の映像作品を作り、その半数は英語版を作成して、国際映画祭に出品しています。ラストの受賞タイトルにも出たように、今まで誰も見たことのない世界を映像化したということで、国際的に高く評価されました。
この『生命』ではないのですが、最初の映画『胃を科学する』に対して、パドバ国際科学映画祭の審査委員会から、コメントをいただきました。
「この映画は、ユニークな細胞培養とすぐれた撮影技術を駆使して胃液分泌のメカニズムを明らかにした。そして示唆に富んだ物語性によって、私たちの科学と教育の未来に価値有るものを与えてくれた。」
私たちの映画作りの原点は、まさにこれかな、と思っています。
細胞培養や顕微鏡撮影の技術を駆使してというのはもちろんですが、一方で、物語性を大事にしてというのは、その通りかと思います。それが私たちの映画作りの原点で、ずっと続いていると思います。
最初の10年間は、本当に世界で初めて捕らえられた生命の映像が評価された時代だったかと思います。その後、1975年に文京区本郷の方に移転しました。
『たまごからヒトへ』は、先ほどの『生命』をベースにした性教育の映画です。
1977年には○『薬と人間』という映画で、医薬を求め、医薬に関わる人間の歴史を描きました。これはスズケンという大きな医薬問屋さんがスポンサードした映画です。スズケンの社長、のちの会長が武田の仕事・表現を気に入って、こういうテーマで作りたい、こういうものは作れないかということで、彼が亡くなるまで十数年のおつきあいとなり、1982年○『人間』、1990年○『薬』という映画を作りました。
また、1984年には板橋区常盤台に自社ビルをもって移転し、ここから通って、1985年にはつくばの科学万博でスズケンのブース、○『細胞空間』の展示・映像まで全体を引き受けて仕事しました。1988年、ぎふ中部未来博ではスズケンのパビリオン『健康地球館』の全体演出をし、私たちの仕事の幅が広がりました。
それとともに、1980年代は遺伝子組み換えとか、バイオテクノロジー、ライフサイエンスのこと、そんなことも含めて描いた時代でした。協和発酵さんの「バイオ博士の科学絵本」シリーズとか、一般向けにバイオテクノロジーを紹介する映画も作りました。また、医薬方面では、アレルギーや感染症の映画のリクエストもあり、多くの作品を作りました。
川村:
ここで、私たちの映像制作はどんな仕事か、ご存じない方もいると思いますので、その一端をご覧いただきます。会社案内に使っている短い映像です。
★アイカムの紹介ビデオ
川村:
細胞分裂を顕微鏡撮影したものです。実際に、数時間かかる現象も、何分に一コマ、何秒に一コマという微速度撮影して、短い時間で見せます。社内に小さいですがラボがあり、細胞や細菌を培養して、そのすぐそばで撮影しています。
川村:
大腸菌は数時間で画面いっぱいに増殖しますが、真菌はシャーレいっぱいに広がるのに、数日かかります。やがて、カビにとって、花・種にあたる胞子の塊、胞子のうができてきます。成熟してはじけて、胞子が空中に飛び広がります。
この胞子のうをさらに詳しく見たいということで、走査型電子顕微鏡で捉えたものです。
川村:
これは小動物の腸内を内視鏡で撮影したものです。腸の中には免疫の関所、パイエル板というところがあります。生きて血液が流れているところがわかると思います。これと二重写しになっている共焦点レーザー顕微鏡の映像でパイエル板から抗原が取り込まれるところが捉えられています。
川村:
このような形で、社内で培養し撮影する形で、さまざまな生き物、特に細菌や真菌、微生物、生きた細胞・組織・器官を撮り続けてきました。私たちとしては最初、いのちの美しさ、あたたかさ、そういうものを撮りたい、おもしろいと撮り続けてきたわけですが、それを製薬メーカーさんからは、例えば、新薬を発売するときに、この薬はどんな働き・作用をするのか映像化したいというリクエストをいただいて、仕事してきたわけです。
1992年に、シネ・サイエンスという名前から、アイカムに社名を変更しました。この頃、撮りたいがために、電子顕微鏡を導入したり、共焦点レーザー顕微鏡を導入しました。仕事して行く中で、研究者と対等にといいますか、最先端の生命現象を一緒に追いかける機会があり、その中で新しい発見もありました。
実は、アイカムの改名のきっかけは、ICAM (Inter Cellular Adhesion Molecule) という分子があり、細胞間の接着因子なんですね。例えば、細菌が入り込んだ時には、血管壁にこの分子が発現することで、血液の中を流れている炎症細胞、白血球がその信号をみつけて、くっつきます。くっついて、細菌の入り込んでいる場所に駆けつけます。
免疫学の順天堂の先生のところに指導協力をお願いに行ったときに、当時、「このICAM-1という分子が動脈壁には出ないけど、静脈壁だけに発現する」と考えられていたけど、それを撮りたいと言いましたら、「俺たちが数年がかりでやっているのに、お前たちが数ヶ月やそこらで撮れるわけないよ。無茶だ」と言われました。それでも「なんとかやらせてください」と頼み込んで、必要な抗体などは分けてもらいましたので、それからはスタッフも撮りたいがために頑張りまして、撮れたんですね。
撮れたのは、動脈と静脈が流れている映像と、同ポジ(同位置)でICAM-1の蛍光抗体の発色像を重ねると、動脈壁は暗いけど、静脈壁だけが緑に発光しているという映像です。先生方も認めてくれて、学会発表や講演会でそのスライドを使ってくださいました。
そんなこともありましたので、当時、社長の武田が、「社名を変えようや。シネ・サイエンスは50音順だとだいぶ後ろになる。アイカムというのはいいじゃないか。」ということになりまして、25周年を機に社名が変わりました。
その後も、専門家向けの医学映画をいろいろ作ってきましたが、だんだんに一般の方にも見てもらえるような大型映像をやってみたりとか、教育科学館の展示映像を引き受けたりとか、少しずつ幅を広げてきました。一方で、製薬メーカーさんからの専門的な医学映画制作の依頼は減っていまして、厳しい面もあります。
川村:
これからみていただく映像ですが、研究者と一緒に映像製作に取り組んだ例として、真菌のバイオフィルムの話をします。バイオフィルムというのはご存知でしょうか。細菌のバイオフィルムもあるのですが、真菌の、カビのバイオフィルムは、例えば、治療のため体の中にカテーテルが留置されていると、それも免疫が落ちている状態では、普通、悪さをしないような真菌がストレスを受けて性質が変わる、形が変わって塊になる。そうすると、薬も効きにくくなり、病気になる。
私が思い出すのは、アフリカのサバクトビバッタの相変異の話です。普通は緑色でおとなしい性質のバッタが、食料がなくなったり何かのきっかけで、黄色と黒の体色に変わり巨大化して集団を作り、何十キロも飛ぶようになり、広大な畑に甚大な被害を及ぼす。それは同じ種類なんですよ。同じ種類なんだけど、あるとき、遺伝子にスイッチが入って、姿形も行動や性質も切り変わる。たぶん、それと同じようなことが起こって、カビの場合もバイオフィルムという状態が起きているのではないかと思うんです。
それを映像化したいという製薬メーカーさんがいて、山口先生に相談に行きました。そうしたら山口先生は「細菌ではバイオフィルムは研究されているけど、真菌では映像化したことがない。どうやったら撮れるだろうね」とおっしゃって、いろいろ教わりながら、工夫しながら撮影した映像があります。その一端を見ていただきます。
★『カンジダのバイオフィルムに迫る』より (映像のみ)
川村:
カンジダは真菌の一つです。患者さんの体内に挿入されていたカテーテルを取り出して、電子顕微鏡で撮影すると、なめらかなはずの表面にざらつきがあります。バイオフィルムと呼ばれるカビの塊がびっしりできているんです。それがびっしりひっついて、薬も届かず、効きにくい状態になっている。カンジダは丸い形の酵母、そこから発芽して菌糸を伸ばした形で、カテーテルに張り付いています。
川村:
これをなんとか再現して、実験しようとやったのですが、まずはストレスをどうやって与えるか。これは振盪法ですね。液体の培地にいれたカンジダ菌を揺さぶりながら培養する。画面左が普通の静置した状態、右が振盪培養した状態。カンジダが作る物質を特殊な染色をすると、蛍光発色か違う。性質が違うことがわかります。
今度は、寒天の固体培地に、真ん中にモーターがあって、振動しながら培養します。そうすると、位相差顕微鏡でみただけでは、違いはわからないのですが、
特殊な染色をしてみると、色が違う。画面の右左、振動培養したものとしないものでは、同じカビなのに違う物質を作っている。
川村:
そこで、どうやって撮影しようかと考えたのが、顕微鏡のステージ上に、小さなモーターを置きます。振動させます。顕微鏡で見た画面も揺れますよね。で、止めます。1コマ撮影します。また、振動してます。止めます。1コマ撮影します。この止めた時だけ撮影し、それを撮り貯めて行くと、振動しても剥がれたりせずに真菌はどんどん増えて広がって塊になっていく様子がわかります。これは研究部と撮影部がどうやったら撮影できるか、考え、試行錯誤してたどり着きました。
川村:
もう一つは、最初に見たカテーテルにバイオフィルムができる状態を再現しようとしたモデルで、カテーテルと同じ素材のシリコンチューブを使い、この流路の中に血液だと血球が多くて見えにくいので、代わりに培地を定速で流して還流培養して顕微鏡下で撮影しました。流れのストレスをかけてバイオフィルムがどのように形成されるのかを見たものです。流されたり、またくっついたりしますが、十時間以上するとカテーテルの外側、中にもバイオフィルムができてきます。できたバイオフィルムが剥がれて他に飛んで行って詰まって、悪さするということもあるわけです。
川村:
こんな形で真菌のバイオフィルムを撮影しました。一例ですが、まあ、こんな形で、私たちはいろんなテーマに取り組んでいます。
川村:
最初の10年で約50本、次の10年では100本、さらに一番多かったときには1年で50本以上作ってきました。2000年を超えて、少しずつペースが落ちています。これからどんな仕事をしていこうか、社内でも話しあいながら、いろいろ取り組んできました。現在では、専門家向けの映像とともに、子どもたちや一般向けにドームに入って、映像に包まれる体験をしてもらうドーム映像にも取り組んでいます。本当に体の中、細胞の中に入ったような映像体験をしてほしい、ということで作ったものです。それをご覧ください。
★ドーム映像 紹介ビデオ
ドーム上映会は
こちらへ
ドーム映像「すべてのはじまり」はDVDBOOKにて販売中です。詳細は
こちらへ
川村:
・小学校や中学校に出かけて、エアドームはテントのようなものなので折り畳んで運び、空気で膨らませて、中に入ってみてもらいます。
・この形状を保つために、常に送風機で空気を送り込んでいますので、コロナ禍でも換気は十分です。
・プログラムは二つ、第一話は『いのちのはじまり』、体の中の世界。
・第二話は宇宙のはじまりから、地球、生命誕生、宇宙と私たちの関係、『すべてのはじまり』をテーマにしています。
ドーム映像は、学校の特別授業や夏休みイベント、商店街や大学の学園祭などにもお招きいただいてきました。ドームは二張りあって、同時上映できるので50名ほどにみてもらえます。
板橋区の文化会館やグリーンホールなどでアイカム主催のドーム上映会も時々行っています。ぜひご覧ください。
駆け足でしたが、アイカムの歩みをご紹介させてもらいました。
『医真菌学の歴史を訪ねて 太田正雄と真菌研究』 1996年 32分