イベントの記録
シンポジウム 科学映画のこれまでとこれから
いのちの科学映像が切り拓くもの
アイカムの50年の足跡から考える

2022年11月23日(水・祝) 13:00〜17:00 アカデミー文京学習室
主催:NPO法人市民科学研究室 株式会社アイカム


上田: みなさんこんにちは。科学映画のシンポジウムの司会進行を担当します、主催団体の一つ市民科学研究室の代表の上田です。
 今日は、冒頭、私から話をさせていただき、その後、川村さんからアイカムの歩みを、資料を使って振り返ります。そのあと、映画上映が2本。休憩を入れて、お招きした3人の専門家と、アイカムの2人と私で、事前のインタビューから抽出した論点などをもとに、議論を進めたいと思います。それを受けて最後に参加者の皆さんと意見交換してみたいと思います。よろしくお願いします。
■目次
■「アイカムの生命映像の特質と意義」   13:00〜13:35   上田昌文   (この発表は動画でもご覧いただけます。→こちらから)
上田:
それでは早速、私の話を始めたいと思います。私はアイカムとは15年ちょっとのおつきあいになります。きっかけは2006年に生まれました。私たちは科学技術と社会の問題を考え、調査しているNPOですが、日本のNPOとしては初めて科学技術振興機構JSTのかなり大きな助成金をもらって2年間研究したことがあります。その時のテーマが「科学・人間・社会 科学コミュニケーション」。その中間発表の時に、アイカムが見に来てくれました。その時アイカムという会社があることを知りました。
衝撃の出会い
上田: 一度映画を見に来ませんかと招待されて、常盤台にあったアイカムの本社に行きました。映画を見せてもらって、ビックリ仰天しました。それが出発です。
 私自身、生物学を専攻していましたので、発生のことなどいくらか知ってはいたのですが、まさかこんな早い時期にこれほどの映像を作っている会社があるとは考えてもいなかった。そのショックがありまして、それ以降、ずっとおつきあいさせてもらっています。2018年アイカムが50周年を迎えた時点で、過去の作品の中からいくつかを精選した上映会を企画し、3年間かけて18回実施しました。今日、ご登壇いただく先生方は、私としてはその中で知り合った3人の方々です。

 アイカムの特質を捉えるには、本来、科学映画の歴史を踏まえなくてはならないのですが、残念ながら、科学映画の全体像を示した研究というのは、とりわけ日本の科学映画については、まだ無いように思います。その中で、断片的な情報を拾ってということになりますが、科学映画は戦前1930年代からいろいろ作られていて、国民の教育とか文化の情報ツールとして上映会が結構開かれたというのがあります。戦争に向かっていく中で、いろいろな記録、宣伝などのための映画がたくさん作られた。それは自然科学だけでなくて、学校の理科教育教材、一般教養とか、衛生思想の普及のため、そして産業技術に関わる記録映画などなど。かなりの広がりがあって、それが戦後にもしばらく続いていきます。
 そういう中で1960年代、一つのピーク黄金期を迎える。世界的にも同様の傾向があるなあと思います。「東京シネマ」「日映科学映画製作所」「岩波科学教育映画」そして、「ヨネ・プロダクション」、これらが時期を同じくして戦後立ち上がっていくということがあります。
 そして、アイカムの前身、シネ・サイエンスもこの時期1968年に立ち上げられた。こういう中で現在まで存続し、しかも高いレベルを維持して、科学映画に的を絞ってやっているところというのは、ほとんどないのが現状だと思います。

 世界の潮流をみてみましょう。アメリカではかなり早い段階から産業映画が盛んに作られ、大学の中にも立派な視聴覚センターが設けられた。イギリスでは、巨大企業が自ら映画班を組織して、非常にアピール度の高い短編映画をたくさん作っている。フランスでは、非常に面白い映画作家ジャン・パンルヴェ―「タツノオトシゴ」などが有名ですが―をはじめとするユニークな個性ある映画監督が活躍し、その方達が中心となって、国際科学映画協会というのが組織される機運になった。ドイツでも、国を挙げて、国営の科学映画研究所ができ、その頃スタートしたエンサイクロシネマトグラフィカは科学に限らずいろんな映画作品のアーカイブ化の先鞭をつけた。ロシア、ソ連では、国が劇場公開用の長編の科学映画を製作した。……といった歴史があるようです。注目すべきは、国の動きとしてこういうものが形成されたことです。科学映画を作る国営の維持システム、管理システムがあったわけです。残念ながら、日本にはそれに相当するものが希薄だったのではないかという気がします。
 60年代ピークを迎えて続くかなと思ったら、残念ながら70年代に衰退していくのです。先ほど名前を挙げた会社も改名したり、仕事を変えていったりする。科学を離れて、行政や企業のPRやイベント、資料館・展示関連の仕事を受けるようになっていく。その背景として、1990年代になれば、映写機の生産もなくなり、フィルムを使った映像はもう要らないという時代になったことがある。そうすると、過去に作った作品をどう保存し、どう活用していくかの問題にもなるのですけど、個々人でがんばってもできないことが出てくる。アーカイブを含め、組織的なやり方が要るのですが、それも乏しいのが現状です。その中で、NPO法人科学映像館なども組織され、1000本近い短い作品がインターネット配信されるような動きも出てきています。

 なぜ、フイルムが消えて行くか。それに置き変わるメディアであるビデオが出てきたから、というのが大きいのですが、ビデオ撮影ができるようになると映画が簡単に撮影できる、一般の人には「誰でも撮れる」という認識があるかもしれないけど、本当は違いますね。実際は誰でも撮れるものではなく、アイカムのような精緻な映像は、非常に専門的な技能を必要とするわけです。
 それから、デジタル化が進み、CGで、科学で得られた情報も表現して行く。そうすると、実写の価値が相対的に下がっていくということが起こってきてくる。そのことを加速したのはテレビ、その結果、私たちが科学の情報の大半を、NHKスペシャルなどを通じて触れるという現状になってしまっています。企業の側からの宣伝費・広告費の大半は、やはり大衆受けするテレビなどのメディアに流れて行く。一般の人の多くがテレビの前で情報を享受する機会が増えるほど、コストをかけて上質の科学映画を作っても、どこで上映するか、誰が見てくれるか、という懸念がますます大きくなる。というわけで、これはかなり構造的な問題だと気付かされます。
生きている姿をとらえる映像
上田: 科学映画に携わった科学者、中谷宇吉郎―岩波科学映画の創始者と言ってもいい人ですが―は、あるエッセイで面白いことを言っています(「科学映画の一考察」1944年)。
 科学映画には「博物もの」と「理化もの」がある。「博物もの」は、この頃出始めていた顕微鏡を使ったりして、動植物や微生物などを写して、生きている姿を映すのが主眼になる。一方、「理化もの」とは、物理化学や数学で、どういうしくみでこういう現象が起こっているのかをわかりやすく説明するもの。
 中谷宇吉郎は、「理化もの」について、上手に線画を使って現象を説明したつもりでも、やっぱり一般の人に本当にわかってもらうことはできない。どうせわからないなら、分からせることを断念して、違う道を選ぶ方がいいのではないか、と言っている。そして、「科学映画には、単に講義や読書の代用品または簡易法としてよりも、もっと広くそして重要な道があるように私には思われる」と、1944年の段階で述べているのです。

 今主流になっているテレビでの科学番組のCGの限界は、ここにいらっしゃる方は重々感じていると思いますが、改めて、言葉にしてみると、基本はイギリスの美術評論家ジョン・バージャーが言う「見ることは、言葉より先に来る」ということ(Ways of Seeing (1972),伊藤俊治訳『イメージ―視覚とメディア』筑摩文庫2013年より)。まさしく、これはCGでは作れない、伝えられないものであり、CGはあくまで説明のためのもの、見たものを解釈して、再構成するもの、ということなのです。CGは、あくまで結果であって、観察ではない。見る側にとっては、CGが多用されると、生きている本当の姿を見てみようという気持ちが希薄になってしまうのではないでしょうか。
 本当の科学のおもしろさには、何が見えるかわからない、何が出て来るかわからないという点が必ずある。そういう未知のものを観察することと、そして、「今、あなた、これが見えるでしょ」「なるほど、これが見えているからこそ、この現象が説明できるのだ」と証拠を示すこと、これが科学研究の一つの醍醐味です。それが、CGを使うと後付けの説明になってしまう。CGをいくら頑張っても「未知」には決して、挑めない。そうすると、CGを多用する番組は科学を伝えているようで、必ずしもそうならない。なので、実写の価値を改めて強調しなくてはならないのです。
 もう一つ、科学映画に限らず、映像が抱える問題があります。作られた映像はいろんなところに使いたい。でも版権がある。そうすると、それをどんなふうにクリアしていろんな人に使っていけるようにするか。研究者にとっては、論文や学会発表にあの映像を使いたいというときに、誰が許可を出し、どういうお金でやりとりするか。自分で映像を作ることはできなくはないが、非常に技術的に大変だったり、資金的に難しかったりすることがある。学生の教育のために、過去の素晴らしい映像を使いたいことがあってもそう簡単にはいかない。一般市民にとって、アイカムの作品を含めて、もっと身近に触れることができるようになれば、私たちのこれからの生命観にも影響がでてくると思うのですが、そういう具合になっていないのです。この著作権の問題に関して、すぐに答えは出ませんが、なんとかいい形でお互いに了解をとっていく何かがいる、ということですね。

 もっと根本的なことをいうと、生命科学・医学研究は、20世紀に入って著し く進展していますが、私たちの生活を今後も非常に大きく変えて行く可能性を持った流れとなっているわけです。その医学・生物研究は何によって支えられたか。出発点はロバート・フック、レーウェンフックのように、「Cell(細胞)」を見つけ、実際に微生物が存在することを確認した。その後、顕微鏡技術がどんどん進歩することによって、私たちが生命に迫っていけるようになった。医学・生物学研究は顕微鏡など「見る」技術の発展に支えられているのです。光学顕微鏡だけでなく、電子顕微鏡や位相差顕微鏡、そして共焦点レーザー顕微鏡やノマルスキー型微分干渉顕微鏡なども含め、20世紀になって、本当に信じられないようなすごい技術が出てきている。
 その一方で、「ヒトゲノム計画」というのがありましたが、現在、それに匹敵する規模の「ヒト細胞アトラス・プロジェクト」があります。37兆個のヒトの細胞全部を追いかけて、地図を描くように描いて行く、全世界で1万人ほどの科学者が参加しているそうです。それから、生体組織染色というのはよく行われる技術ですが、それよりはるかに精緻な分子をプロファイリングする手法も生まれてきている。したがってナノレベルの精緻なイメージングが可能になってきている。そういう段階に来ているのです。皆さんも御存知の、下村脩博士が2008年ノーベル化学賞を受賞して有名になったGFP(Green Fluorescent Protein,緑色蛍光タンパク質)で特定のタンパク質をタグ付けしていける。もっといろいろなタグ付けの手法が出てきて、細胞一個の中の分子一個の動態が、ある程度、ターゲットを絞ってみることができる時代になってきているのです。
 私などは空想を膨らませて、昔あった『ミクロの決死圏』という、ミクロサイズの人間が体内を探っていくという映画がありましたが、今度は本当にミクロサイズで、細胞の中を泳いでいるような、何かを追いかけていくようなイメージングが出て来るのではないかと思っています。顕微鏡技術のインパクトがいかに大きいかを想像していただけると思います。

 そういう中で、顕微鏡を使って、実際の映像、生きている姿を撮っていく仕事は、非常に大きな意義をもっています。まず、医学生物学にとって「探索の道具」です。そして、いのちの姿に迫っていくなかで、生きていることの意味や研究の意味を考えさせる、思想的な作品になる可能性が出て来ます。アイカムなどはこの思想性が強いと私は思います。もう一つは、なんといっても美しい、ということ。一般の人にとって、これは細かい情報や詳しい知識がなくても、見れば圧倒される、ということがある。いわば、研究者にも一般市民にもアピールできる芸術性をもっている。よく科学と芸術は対峙させるような形で論じられることがあるけど、私の考えでは、一級の科学研究は、一般の人にとってもその中身をそのまま理解できなくても、「すごい」「感動する」というと ころを必ず含んでいると思います。生命映像の仕事は、今言ったような三つの意義を持っているのです。
アイカムの映画の特質
上田: アイカムの仕事に即してそれを見てみますと、一つは、なんといっても撮影技術がすごい。高度な技術を活かして、生命現象を探索していける。つまり、動物の飼育、細胞の培養もできるので、研究者の様々なリクエストに応えつつ、いろんなところに挑戦していける。長期間にわたる微速度撮影をやって、長い時間にわたる細胞の変化を見せていくことができる。そして、こういう生命映像作製プロジェクトは単にアイカムがやりたい、研究者がやりたいだけではできない。研究者と相互に話し合いながら、啓発し合いながら企画を作り、うまく運営していくことがなければ、できない。こういう体制や力を持っていることがすごいのです。その結果、「誰もみたことのないもの」を見せることによって、新発見とか新しい検証を導いていきます。
 私も『胃 巧妙な消化のしくみ』の作品を見たとき、本当に驚きました。小さい時から私も疑問に思っていたのですが、なぜ、あんなに強い胃酸が出るのに胃の壁が溶かされないのか。誰でも不思議に思います。だけどそれを映像で、「あっ、こういうことがあるから、可能になるんだ」と思わせるというのは、ものすごい説得力ですよね。これが一番。
 二番目は、先ほど言った思想性に関係しますが、アイカムの作品の特にいくつかは、社会的メッセージ、ストーリーを重視しています。学問の歴史に遡及して、今の研究はなぜ成り立っているか、どこに向かおうとしているか、ということを見せることに力点がある。それらは専門家でない人にもアピールする。別の言い方をすれば、生命探求というのはこういう意義を持っているのです、ということを言葉ではなく、映像を通して感じさせるわけです。
 それから先ほど言った「芸術性」です。これは見た方は全員わかると思いますが、ミクロコスモス、自分たちの中にこんな宇宙が広がっているのだ、という感覚を与えてもらえるということです。つまり、言葉でわからせるのではなく、映像で感じさせる、感動させるということを通じて伝えているということです。それが非常に素晴らしい状態になると、何が起きるかというと、「私たちが生きていることって本当に不思議だよね」という、計り知れない奥深さを感じ取るわけです。「生命ってなんてすごいんだろう」と、畏れを抱いてしまうような感覚、畏敬の念に通じるものがある。そうすると、今の社会で問題になっているような、たとえば、人を殺したり、戦争したりすることがいかに愚かなことか、を感じないではいられない。そういう人間性の育成にも通じる面があると思うのです。
価値ある生命科学映像の制作を維持するには
上田: こういう価値ある仕事をどうやって維持していくか―これが今、非常に難くなっているのです。まさに今日のテーマはこれなのですが、この後の議論のためにも整理してまとめてみました。
 生命映像の制作に関わる<アクター>として、1つは、研究者。研究者は自前の研究費を使える可能性がある。だけど、それだけでは映像を作るまではできないことが多い。
 2番目は、アイカムのような映像製作者。そこには技能があり、作品にこめる思いとか、配給・上映に関する運営の手法もある。
 3番目は、出資者、スポンサーです。アイカムの場合は、主に製薬企業が多かったと思いますが、医学系の財団とか諸々あります。
 4番目は、一般市民。単にポッと来て、ポッと見て帰るのではなくて、例えば「○○愛好会」とか「○○を支援する会」とか、私たちのような科学技術に関連するNPOとかいろんな性格をもったものがありますが、それらをどう巻き込んでいくかが重要になります。
 そして、日本で一番弱いのが、行政関連の支援システム。フランスなどに比べて雲泥の差だと思っています。文科省、文化庁などあるけど、科学映画をきちんと守り育てて行くという視点はほとんどない。そうすると、例えば、「科学映画文化基金」などを設けて支援していくことを考えていかなくてはならない。
 その次は、映像のアーカイブの問題。きちんと管理して行く団体が必要です。  もう一つは、公共性の高い団体、医師会とか、学会とかで、それらには社会貢献を担っている部分があります。社会的に重要な活動を支援してことがそうした組織には求められているわけです。
 以上がアクターの種類とその働きです。

 一方、<その効用>は何かというと、特定のテーマでの科学的探索という学問上の意義がありますし、また生み出された科学的成果の社会的アピールという面もあります。そして、生物学・医学・薬学の歴史への理解を深めていくということも考えられます。じつは私は、これが今非常に欠落している部分だと思っています。学問を取り巻く環境がどんどん悪化している面があり、「歴史なんか放っておけ」「歴史なんか要らない」という姿勢にきちんと対抗するということの価値もあるかなと思っています。そして、学生への教育、一般市民への啓発もあります。映像を通して大きな感動を受け取ることで、自分がより成長し、鍛えられることがあるのです。
 ただ、<制約条件>もあるわけでして、一つは膨大なコストがかかるということです。もう一つは、大学の研究環境が変化して、業績主義が過度に幅を利かすようになってきた。そして、資金提供に対する企業の姿勢も変化してきた。もう一つは、アーカイブの問題とも絡んで難しいのは、インターネットでの無料配信の問題です。「映像は無料で配信できるもの(にすべきだ)」という一つの流れがあります。そういうものと著作権はどう折り合いをつけるか、という問題が浮上している。そして、もし製薬企業がアイカムにたくさんのお金を払って、自分たちの研究が世の中にアピールできるとなると、「あなたは宣伝費としてたくさん使っているが、それを薬価に反映させているのではないのですか」という国の睨みも関係することになるかもしれません。

 そして、生命科学研究を取り巻く環境の変化、という問題があります。これは映画制作関連の人たちで解決できる問題ではないのですが、ご存知のように、日本はここ十年ほど、先進国の中で科学でどのくらいの順位につけているのかをいろんな指標でみると、どんどん低落しています。それがどこから来ているのかは十分にはわからないけど、一つは、先端的ではないが、市民生活への影響が大きい基礎研究への評価(や資金配分)があまりにも低い。動物実験は昔より管理と規則が非常に厳しくなっている。業績主義がはびこり、政府の言う「選択と集中」、競争的資金の強化、短期的に結果が出て成果を上げられる研究を偏重してしまう傾向。ポスドクの使い捨て……そういうことの中で、本当にじっくり長い時間観察して、やってみないと何が見えてくるかわからないことに、研究の情熱を向けていくことがだんだん避けられるようになっていく。そこが大きい問題だと私は思います。
 企業も同じで、自社の直接的短期的な利益になることだけを求めていく。しかも、「クライアントとしてお金を出した以上、著作権はこちらにあるのだぞ」と囲い込んでしまうことが往往にして発生する。何か違うのではないでしょうか。そんな状態が続くと、研究者は企業の作った映像に監修役としてポンと入ることで終わってしまうだけになるのではないか。
新たな動きと可能性
上田: まあ、こういう問題を抱えていると思えるのですが、ところが一方、松井先生から教えてもらったことですが、個々の研究者で動画を活用する人がどんどん増えています。例えば、論文に動画を載せて、ギャラリーを作っておく。リンクを張って、論文を読むとき、一緒に動画を見られるようにしておく。そ れから撮影した動画を使って、解析する。解析したデータを研究に使っていく。また、大学の研究者の中にも、共焦点レーザー顕微鏡を研究室に置いて使えるようになってきた。それから、細胞内・生体内のイメージング技術が発展している。映像データをアーカイブ化して、論文になったものはオープンアクセスにしようという流れもある。場合によって、この頃の教科書は、図解・写真だけでなくて、必ず、DVDをつけてこれも一緒に見てくれということがある。研究者の中には、結構使える、精緻な、お金もかかった動画をYouTubeにサンブルとしてUpしている人もいる。……こういう流れもある中で、上に述べたような危機的制約をどう乗り越えていくか。それがこの「生命科学映像」には問われているのではないかなと思います。

 最後ですが、例えば、本日登壇いただく、山口先生、細野先生、松井先生にはそれぞれ1時間、前もってインタビューさせていただきましたが、私の勝手な想像で恐縮ですが、山口先生のお仕事に関連して言いますと、まさしく帝京大学で発見したカンジダ・アウリス(Candida auris) ―今、インドをはじめ世界各地でパンデミックを生み非常に脅威になっている病原性の真菌―の脅威がどんなものであるかを、映像を使って世界中の人々にアピールしていく仕事、これは国際プロジェクトにして早速やるべき仕事ではないかな、という気もするのです。
 あるいは、細野先生と話して改めてわかることに、ここ10年のマイクロバイオームや腸内細菌の研究というのは凄まじいものがあり、本当にびっくりするような健康への影響、食事とかいろんな栄養学に関連するような新しい見方がでてきています。ただ、それに乗っかって訳のわからないダイエットとか変な情報もたくさん氾濫するようになっています。そこで、科学的には何が言えるか、一般の人に分かりやすく、かつ今の研究はこのような進展を示しているのだということを見せるような映像作品を作れたら、これは相当価値があるのではないでしょうか。
 それから、例えば、3先生のつながりで、山口先生は真菌の皮膚への感染、細野先生は免疫に関するマイクロバイオーム、松井先生の皮膚のバリアの維持形成メカニズムと、それぞれに繋がりがあることがわかります。もし、そういう研究領域の融合が実現して、その成果を新しい映像として見せていけたら、これは皮膚の科学的理解の新しい次元が広がるということに本当になってくるのではないかと想像するのです。
 研究者同士がもっと密にコミュニケーションして、「この実験や観察をやればどうなるか、映像化してみよう」「それをアイカムに頼んでみよう」と動き出すことができる、という機運があるように思えますし、それが本当にできれば、 生命科学研究にとって重要な進歩を生み出すことになる―というのが、アイカムと15年付き合ってきて私の思うことです。

 これは<討論の時間に論じたい論点>ということでまとめてみました。
 1番目は、映像制作会社側から研究者に「こんなことをやってみたらどうですか?」 あるいは研究者から映像制作会社に「こういうことをやってみたいのだけど」と、もっとやりとりが密にできれば、次のプロジェクトが生まれてくるのではないか、ということ。
 2番目は、映像作品の上映や利用には、お金の問題があるので、著作権を保護しつつお互いが納得できるように進めるにはどうしたらいいか、ということ。
 それから、3番目は、スポンサーの問題。つまり、企業・研究者・映像制作社がそれぞれwin-winになるようなタッグの組み方はないものだろうか。過去の事例を振り返りながら、なんとかそれを見出してみたい、ということ。
 そして、もう一つは、アイカムは世界的に類例のない仕事をしているわけですが、その制作体制とか撮影技術は日本の貴重な文化ですから、今後も失わせてはいけない。本当に支援し、今ぶち当たっている壁を突破していけるような新しい具体的なプロジェクトはないものだろうか、ということ。
 というわけで、この4点を提起させていただき、映画を観終わったあと、ご議論いただければと思います。 (拍手)
1    





お問い合わせは
E-mail:event(at-mark)icam.co.jp    ※(at-mark)を@に置き換えてください
TEL:03-6905-6610 / FAX:03-6905-6396