イベントレポート
●アイカム50周年企画「30の映画作品で探る”いのち”の今」 第3回 発生・遺伝・染色体 アイカムの原点ここにあり <2018年8月25日(土)> 
上田: みなさん、こんにちは。アイカムの50周年企画の上映会、今日は3回目になります。私は進行役を務めますNPO法人市民科学研究室の代表の上田です。よろしくお願いします。2ヶ月に1回やってきましたが、実は、今日は特別な日になります。というのは、アイカムは永年使って来た、この建物から9月末に引っ越すことになり、ここには研究・撮影する場所もあり、あとで皆さんにもご紹介したいと思いますが、今日はアイカムがなぜこういう映画を作るようになったのか、大本に立ち返って、その歴史を振り返る意味をこめた作品を見ていただければと思います。今日は3作品の上映の前に少し話をして、見た後にまたお話をしてという形で、創業者で会長の武田さん、それからずっと仕事されてきた今は社長の川村さんと、私とでいろいろやりとりしながら、進めて行きたいと思います。時々、みなさんの方からも聞きたいことが出て来ると思いますので、ご遠慮なくお聞きください。
■アイカムの創立、1968年8月15日
上田: 最初、武田さんに、アイカムのそもそもの成り立ちを聞きたいなと思うのですが。みなさんも何本かアイカムの映画をみて、かなりユニークな仕事をしているなということは感じておられると思います。私自身も映画やテレビの映像で細胞を撮影したものを何回か見たことがありますが、それそのものを仕事にしている会社はほとんど唯一ではないのかと思います。今年で創業50年、そもそもどういう意図をもって、なぜ細胞の映像を撮りたいと考えたのか、いかがでしょう。
武田:
























私が、一番最初に顕微鏡で覗いたのは、『ミクロの世界』※を作った東京シネマで働いていた時です。そこには、湯川秀樹さんや朝永振一郎さんらが、岡田桑三と科学教育協会を作っていて、中村桂子さんが秘書でいました。(それはすぐに潰れたけど)
※『ミクロの世界〜結核菌を追って〜』(1958年東京シネマ) 結核菌はどのように増殖するか、食細胞はどのように食菌し、貪食された結核菌はどうなるか、微速度顕微鏡撮影で追った。
 そこでアルバイトで入ったけど、伝研の先生方から来たのが、「赤痢菌が細胞の中に入るのを撮ってくれないか」という仕事でした。赤痢菌は尻尾のない細菌・桿菌なんですね。それが細胞の上に付着すると、しばらくすると、入るのと入らないのがいるけど、潜り込むんですね。潜り込んだとたんに、ものすごい勢いで暴れ回る。普通、細胞の撮影は8秒に1コマとか、15秒に1コマの微速度撮影で細胞の動きを追いかけていたんですけど、ものすごい勢いで暴れるものだから、普通の1秒12コマとか24コマ(常回転)で撮りたい。そこで、あわてて、キャメラをセッティングした撮影台が、今でもここの撮影場にあります。1本の鉄の棒が立っていて、片一方にキャメラを付けて、棒の横に微速度装置、ギアで何秒に一コマを調整する。ところが12コマや24コマで撮ると振動で画がぶれてしまう。あわてて外して、顕微鏡を別の台に移して、首だけ廻して12コマ、20コマまで撮ったかな。
 そしたら、ものすごい勢いで暴れる赤痢菌は、細胞からポーンと飛び出そうとするけど、細胞膜に引き戻されて、細胞の中に帰って来る。そうしているうちに、細胞が動かなくなって、バシャっと潰れるんですね。そうすると細菌が分裂・増殖し始める。バタバタバタと増殖して。
 これはすごい。細菌というのはあまり動かないものだ、しかも尻尾もない。細胞も何秒1コマで撮らないと全然動かないと思っていたのに、初めて細菌と細胞の闘いを見つけたと、ものすごい興奮して撮ったんですね。
 次の日先生方が来て見て、「なんだ、これは」・・ラッシュが上がれば見れるけど、こういう経過でした、と話したんですけど、どの先生に聞いてもわからない。なんでそういうことが起こるのか。
 そしたら、35年ほど経って、この現象に「コメットテール」(彗星の尻尾)という名前がついた。細菌が細胞の中に潜る、そうすると細胞は細菌を追い出そうとして、細菌の尻に細胞骨格を集める、その勢いでビューンと細菌は細胞膜を引きずって外に飛び出そうとする。しかし、外に出れずに細胞の中に戻って来る。  そういうのを初めて見た時にすごいな、と思った。ミクロの世界にはまだまだわからないことがいっぱいある。それを記録して解明して行くのは必要だし、おもしろい。そう思って、その時、アルバイトから社員になって、私はミクロをやろうと思った。
 
上田: そうでしたか。やはり、顕微鏡で微速度撮影の技術を使ってしか追いかけられない現象があるということですね。
武田: そうです。15秒に1コマ、30秒に1コマでインターバルとって撮影するとやっと細胞の動きが見える。動く細胞と、それぞれの細胞の役割がある、いろんな動き、スタイルがある、顕微鏡で覗いて行くとものすごくおもしろい。たくさんある。
上田: 学者もそういうのを映像として見せつけられた時に、なぜと聞かれて答えられないことがはっきりする、ということですよね。
武田: そうです。全く、わかんないんですね。わかったのは35年後ですからね。
上田: そういうのでおもしろさに目覚めて、でもやはり事業ですから、会社として立って行くには、普通、映画を作るというとお金がかかる面があると思いますので、なかなか大変だと思いますけど。
武田: でも、まあ・・その頃、月に人が行く時代で、次の年には、
上田: そうですね。1969年には月に降り立った・・
武田: そういうマクロコスモスの世界が大流行りで、でも僕らはむしろ、自分たちの体の中のミクロコスモスを映画にしてみようと思った。いのちって何なのか、いのちの映画を作ろうと・・金も機材もないものですから、みんなでアンケートをとって、科学映画は非常に魅力があって、宣伝になるよと、10人くらいで一生懸命、廻ったんですが、西洋医薬の方は相手にしてくれなくて、唯一つ、漢方薬の太田胃散が、胃を撮影できるか、と興味を示した。その頃、胃袋を覗いたのは、事故で胃に穴の開いた青年を定期的に医者が覗くということで、顕微鏡で覗いたことなどない。それだったら、ラットなど哺乳動物を使って、顕微鏡でみればおもしろいのではないか。ちょうどつきあっていた慈恵医大の高橋忠雄先生が外国から帰って来たばかりで、一緒に酒を飲むと、ヨーロッパで「雪の降らないところに文化や科学は発展しない」と言われて帰ってきて、その先生はカッカと頭に来ていた。
 「そしたら、先生、太田胃散をプッシュしてくれ。日本でも雪の降る所はある。人間の染色体の数を2n=46本と決めた牧野佐二郎先生が北大にいる。あそこで顕微鏡を覗いているのを撮って、ラストにしようじゃないか」といって、そこで高橋先生が太田胃散に推してくれて、やることになった。
上田: それでは早速、その胃にメスを入れた映像といいますか、映画『胃を科学する』を見たいと思います。18分です。





                      ■ 映写 1969年『胃を科学する』 18分
上田: 武田さん、映画の冒頭に、牛の頭の賞がでてきましたが・・
武田: あれはベニスの映画祭ですが、大学ができたのはイタリアが最初なものですから、科学部門を歴史あるパドパ大学で取り仕切っている。牛頭はパドバ大学の校章なんですね。
上田: 大学のシンボルですね。
武田: それでいい作品には銀賞をくれるわけです。胃袋の中など見たことのない時代の映画ですから、銀牛頭賞を獲ったら、当時、太田胃散の若旦那が「どうだ、ベニスの映画祭で一位賞を獲ったぞ」と自慢するものだから、仲のよい救心と龍角散の若旦那が「じゃあ、うちでも作れ」と、それで作ることになった。
『心臓~拍動を探る~』の映画も外国で賞は獲りましたが、救心はちょっと待てというのに、いや撮れるはずだと牛の頭のネクタイピンを作ったんだけど、獲れなかったんですよ。困ったなあという思い出があります。
川村: 今、みなさんにお渡しした黒いのが『胃を科学する』がパドバで銀牛頭賞を受賞した記念で作られたパンフレットですが、そこに日本医師会長だった武見太郎さんが寄せてくれた「胃と対決する映画」という文章があります。
武田: 武見さんは、喧嘩太郎で有名ですが・・うちの会社は私と浅香と林の三人で立ち上げて、始まったんですね。そこで映画に医師会推薦をもらいたいと、三人で武見さんを訪ねて、今の学生は顕微鏡で胃を見ることはあまり無いから、是非薦めてほしいと話をしたら、了承してくれて、「君だけちょっと残って」と後の二人を帰して、僕だけ残された。そして「昼はざる蕎麦を食べるから、君もどうだ」とご馳走になって、それから「映画を作ったら見せてくれ」と言われて、十数年間、彼が亡くなる二年前まで、作った映画を見てもらいました。
 見て文句は言わないんですね。だけど1つ1つメッセージがあっておもしろい、そういうのが大切なんだと、評価してくれたんですよ。
 その後もいろいろお世話になるのですが、『胃を科学する』がその最初の出会いでした。
参加者KK: 一つ、いいですか。私、イタリアにしばらく居たことがありまして、このパドバ大学というのは、世界で最初の本当に歴史ある大学で、ガリレオ・ガリレイも教授だったという権威のある大学ですから、そこの受賞だということですね。
上田: これがアイカムの最初の受賞ですか?
武田:
そうですね。アイカムの年表を見てもらうと、1969年『胃を科学する』が第一作で、1970年『生命』もパドバ大学で受賞しました。これは芸術祭優秀賞も獲りました。その次の1972年『生体と大気汚染』は、美濃部都知事時代、東京都公害研、所長は戒能通孝さんの依頼で作り、宇井純さんが持参して世界の環境会議などで上映されました。次の1974年『脅かされる食生活 遺伝学からの警告』は自主制作で、AF2(フリルフロマイド)という食品添加物の食品公害の危険性を描いて、製造中止へ働きかけました。この時に、我々の仕事も社会の仕組みに入っているのだということで、非常に嬉しかったですね
上田: 実は、『生体と大気汚染』は、私たち市民科学研究室で2015年5月に「呼吸器疾患は減らせるか~大気汚染の変遷から読み解く」という市民講座をした時に、来ていただいて、上映してもらいました。
 ところで、私、アイカムのDVD-Bookの中で、最初に『胃 巧妙な消化のしくみ』というのを見たのですよ。それがすごく驚いたことを思い出します。胃壁がなぜ胃酸で溶けないのか。最初の映画を作られてからも研究は進んでいて、このあとも胃の映像を撮られたんですね。
川村: 『胃を科学する』はDVD化されていないのですが、2005年の『胃 巧妙な消化のしくみ』のDVDはお帰りの時、皆さんにお土産で差し上げます。
武田: あれは、胃の組織を、胃腺一本、ピンセットでずるずると引っぱり出して、壁細胞、主細胞、粘液細胞、いろんな細胞がどういう順番で並んでいるのか、どこで胃液が生まれて、どこで粘液が生まれて、どこで消化が進むのか。という話だね。
 最初の『胃を科学する』の頃は、顕微鏡で、胃粘膜の血流を撮った。まだ生きた体の中で組織の血流をみたのはほとんどなかったから。それで賞を獲ったのかな。
 それで、上映前に言った話ですが、「雪の降らない所に科学は生まれない」と言われた高橋先生が悔しがったので、それじゃヒトの染色体数を決めた牧野先生の研究室の所で、ラストを飾ろうと、北大の牧野研究室の外で撮った。
上田: それが次の作品につながっているんですね。
武田: そうですね。牧野研究室から遺伝研に行った、いろんな先生方がいるんですが、ネズミの染色体研究で進化を追いかけた先生がいる。その映画を文部省が作るというので指名が来て、作ることになったんです。
上田: 牧野佐二郎先生というのは、初めて聞く方もいるかもしれませんが、実は、私も生物学を学び始めた当初、授業で染色体の研究で日本が一時期、世界をリードしていたという話を聞きまして、その時、牧野先生の話も聞きました。ヒトの染色体が46本というのを初めて全部、同定した先生ですね。
武田: 牧野先生は水処理法で、水で細胞を膨らませて押しつぶす方法で、染色体の形が全部見られる。そして、ネズミの染色体研究の吉田俊秀先生は、バンド染色法という、染色体の中を染め分ける方法で研究した。
上田: そういう日本人が開発した研究技法が、その後の進化などの研究の発展にもつながっているということですね。
武田: 実は、1970年の『生命』が芸術祭で受賞したので、次に見ていただく『染色体に書かれたネズミの歴史』でも、もう一遍、芸術祭で賞を獲れ、と言われたんですね。でも、16mmじゃ難しいと言ったら、金は出すぞとプロデューサーが言うので、35mmで予算の倍の金を出してもらって作り、芸術祭で賞を獲りました。
上田: それでは、映画をみましょう。





       ■ 映写  1975年『染色体に書かれたネズミの歴史』 32分
上田: 今の映画で振り返っておきたいことがいくつか有るのですけど、一つは、これは、染色体を染めて切り出して並べてという吉田先生の研究を軸にしているのですが、細胞の映像を撮るということでやっていらしたけど、このように研究そのものにスポットを当てて撮ることも時々なさってきたんですね。吉田先生とのやりとりはいろいろあったんですか。
武田:










まず、どんなふうに映画を始めようかと思って、遺伝研にシナリオハンティングに行ったら、机のそばにあのネズミにチュっとしている写真があって・・ああこれいいなあと、これに先生の思いを書いてください、と言った。そうしたら「親愛なるネズミよ、お前はどこから来たのか」という文章を書いてくれたので、そこから始まったんです。
 それから、思い出すのは、僕はとにかく、人間の生活とともにネズミが世界に広がって行くイメージがほしいから、古い世界地図に重ねて「どうしても、ネズミが走るところを撮りたい」。で、モーターつないでベルトコンベアーみたいのを作ってネズミを走らせたんですね。そこにネズミを入れてガラスを手前に置いて、正面から撮ればいいと。だけどネズミの走る方が速いもので、時々、そのガラスにカンカーンとぶつかって、ネズミが鼻から血を出す。そうすると吉田先生が可哀想だ、もう止めてくれと、涙を流された。
 最後の仕上げでは、吉田先生とぶつかってしまったんですね。吉田先生は、俺の仕事は染色体の核型分析だけだ、と、映画のラストの部分は付けてくれるな、というので喧嘩したんですよ。だけど、それこそ喧嘩太郎の武見さんを思い出すけど、この映画はやはり進化、ヌードマウスだとか、突然変異、いろいろ出て来るけど、地球環境と絡めて話をしないとおもしろくない、といって喧嘩したんです。僕も譲らなかったんですよ。
 芸術祭で入賞したのは、アンケートによれば、アニメーションでユニークな表現をしたということもあり、今日、ここに美術の森さんが来てくれたけど、やはり森さんが芸術祭入賞の力になったと思っています。森さんなんか一言・・
森: 吉田先生の染色体を切って、並べてという技法が、アニメーションと似ているなと興味をもって仕事したんですね。
上田: 実際、映画に出てくる中で、切って並べてと手でやっている部分と、自動的にポッと染色体が動いて並ぶ部分とありますが、あれがアニメーションですね。
武田: それで最後になって、なんで金は出すから芸術祭で入賞しろ、と言ったのか。『生命』と同じように芸術祭優秀賞を獲れと言ったのかな、と思うのですが。 僕ら仲間は『ネズミ』でもなんでも、おもしろいと思って夢中になって作っていますから、そのあといろいろ事件が起こるのですが、それは後の話として。
 やはり武見さんが一つ一つの事実をきちんと、思ったことを曲げずに主張すべきだ、それが表現だろう、いいよいいよ、と、それこそ、ざる蕎麦食べながら言ってくれたことだと思います。それで新しいスポンサーも紹介してくれる事になるのですが、だけど、PR映画を作っているわけではないから、表現として譲らないところは、譲らない。
 それこそ、AF2もそうですし、譲らないところがいいなあと思ってやっている訳ですから。当初、森さんは別な会社にいて、アニメーションを頼みに行ったら彼と会ったんです。彼があとで言ってましたが、そこは神田で、新宿の方から快速が停まるけど、各駅停車で水道橋で降りて歩いてうちの会社まで来て、そういう歩みの仕事がいいんだと思ったと。そのあと、うちの会社に入って、ずっーと一緒に仕事しました。仕事ってそういうものだなあと。
上田: そのへんがおそらくどの映画にも共通していると思いますが、作ってほしいスポンサーの意向、研究業績の部分だけ撮ってくれという科学者の意向と、武田さんがやっている中で生命現象をどういうふうに見せたいか、あるいはどういうことをメッセージとして伝えたいか、ということが出て来た時に、やはりぶつかるところが出て来る。ということですよね。
武田:
それと、生きているものを顕微鏡で覗いているでしょ。そうすると、どう撮ろうか、どうライティング当てようか、どのサイズで、何秒間隔で撮ろうか、そういったことが撮影する被写体が持っている情報にすごく入ってくるんです。だから、本当に生き物を分かっている人間じゃないと、そこらへんがちょっとずれるんですよ。
上田: わかりました。今見て、論理的に筋の通った探索の映画になっているのでわかりやすかったと思いますが、今の科学は発展して、DNA塩基配列などから進化を辿るところまで来ているけど、そのベースになる染色体の形態学的観察を通して進化に迫れるという一番最初のところを見せて頂いたと思います。
川村: この映画の場合、ラストの仕上げ方では吉田先生ともめたんですが、結局、完成後、吉田先生が世界にもっていったら、見た方々から「このラストがあるから、あなたの研究の意義も深まる」と言われて、喜んで帰国されて、報告に来てくれたそうですから・・
武田: それから仲良くなって、彼が死ぬまで、生涯のおつきあいをしました。
上田: なるほど。じゃあ、そろそろ見学の時間にしましょうか。
川村: はい、私たちはミクロ室と言っているのですが、これから一階にご案内します。細胞や細菌を培養するところと、すぐ傍に顕微鏡撮影するところがあります。4つほどポイントがあるので分散して廻って見てください。光学顕微鏡の微速度撮影するところ、共焦点レーザー顕微鏡で深部まで見せられるところ、電子顕微鏡室は少し離れているので今日は電顕で撮った画像を見てもらいますが、それから、培養するところですね。
そのあと、戻っていただいて、こちらにお茶とお菓子も用意しておきます。
参加者SM: 質問ですが、いいですか。NHKからのアプローチとか、技術を貸せというのはなかったんですか? 協力して一緒にやろうとか。
川村: お配りした中に、NHKの最初の『人体』に映像を提供したとき、出版物にアイカムの紹介が見開きで載ったので、作った抜き刷りがあります。この時も最初は、制作協力してくれ、だったのですが、時間とお金の関係か、結局、足りないところを既存の映像を貸してくれということになりました。
武田: 彼らはドームの映像も見に来て、ドームの映像で、私たちは、キューブという表現で縦に廻ると拡大したり縮小したり、横に廻ると時間が縮んだり伸びたり、スーパー(文字)入れずに表しているのだけど、彼らからは「倍率やインターバルなどスーパー入れないと科学映画じゃないだろう」と文句言われました。それは関係ないだろうと思います。やはり映画で肝腎なのは、映像から、どういう情感を伝えられるかだと思う。そのへんはNHKとぶつかりますが。
川村: それでは、準備もできたようですので、1階へどうぞ。





                 ■ミクロ室の見学とTea time
上田: それでは3本目の映画を始めたいと思います。
川村: 今日、車椅子で参加してくださった境屋さんは、アイカムでは『人間』という映画でお付き合いが始まりまして、長いおつきあいなんですが、企画・出演してくれた『介助する人・される人』というビデオは、最近、図書館などに好評で売れています。今日は時間がなくて、18時には帰らなくてはならないということで残念ですが、そこまでおつきあいください。また、その時には声かけていただいて、みんなで下まで車椅子を運びますのでよろしくお願いします。





               ■映写 1970年『生命 哺乳動物発生の記録』26分
上田: すごいですね。本当に息を呑む映像で、とても1970年に作られた映像とは思えないのですが、こういう映像で、私たちが誕生するまでといいますが、個体が発生してくるまでというのがどれだけ驚異的なできごとなのか、ひしひしと伝わって来る作品ですね。で、この『生命』という作品なんですが、世界的にも高く評価されていて、そのへんも含めて武田さんに振り返ってもらえればと思います。そのあと、これができてからどんなふうに世界の人達に見られるようになったのか、川村さんにも報告いただけたらと思います。
 武田さん、まず、これを作るきっかけといいますか、受精前から一個体まで描いていますが、これは医学部の先生からのリクエストがあったんですか。
武田:









いいえ、私たちはこの映画を作りたくて会社を始めたんですが、この頃、月から地球を見たり、月に行ったり、そういう時代だったでしょ。そういう時代に俺たちにできることは、ミクロコスモスというか、体がどんなふうにして生まれてくるのか、表現すればいいのではないかと思ったんですね。今、これを見ると、要するに、つなげているだけですよね。
 それまで先生方ができなかったのは、受精卵の卵割です。2分割から8つぐらいに分割するだけで、みな止まっていたんです。これはなんとかして桑実期までいけないか、子宮に到着して潜り込んでいくまで卵割を進めなくてはならない。そこで考えたのは、子宮というのはやわらかいものだと。みんながやっているのは冷たいガラスに乗っけてみている、そうではなくてやわらかなスポンジに乗せて撮影したらいいのではないか。そうしたら、桑実期まで行ったんですね。今も畜産の方で獣医さんが体外受精の発生でスポンジを使っているらしい。
 ただ、生きて動いているものに対するイメージがあって、どう撮影するか、どう音楽と一緒になって、つなげていくか、というイメージがあると、スムーズに見ていかれるのですね。リアリティがそこから生まれる。みんな今、レントゲンや解剖学的に、理屈やそういうもので見て行くから、リアル感がわからない。そうではなくてきれいに撮る、そして、ゆったりした形でみせていくと、生命の、たぶんこうだろうという思いが出るのではないかな、と思った。それが最初ですね。スポンジ使えばいいのだと。
上田: 子宮の中を撮るというのは、卵形成から始まって、最終的には受精卵が胎児に行くまでのプロセスをズッーとつなげていますよね。それが個々の研究者にとっては、その一部分が見えていただけというところをつないで、『生命』として表現したいと。
武田: そう、表現したいんですよ。ですから、最後の胎児は、それこそ林基之から提供してもらったもので、生きているように撮っているだけですからね。
上田: そういう意味ではいろいろなものをつなげて一つのストーリーを作ったということで、作品になっている。
武田: そうですね。それで思い出すのは、完成前のラッシュを、産婦人科の先生方に見せてくれと言われて、横浜に僕は車で向かったけど渋滞でだめで、渋谷に車を停めて電車でいった。そしたら300人ほど集まって、待っていてくれて、劇場の大スクリーンを長い物干竿で差して、説明したんですよ。
 それから完成試写では、リアリティを感じると、「あっ、生きている!」と先生が声上げるんですね。どういうことかというと、受精卵が奥に送られて行く、そうすると、だんだん細胞がはがれて、はがれた細胞がすーっと落ちて行く。そういうのをみて「あ、これは本物だ、生きている」と。本物を撮っているから本物なんだけど、つまり、撮り様が肝腎なんですよね。だから、美しさというのはリアリティ、どう美しく撮るのか。そして、良かったことはちょうど帝国臓器が創立50周年だったので、見て、仕上げのお金を出してあげましょうと言ってくれたことです。
上田: これは海外でも評価されていろんな賞を獲っていますね。
武田: 70年に、ずいぶんいろんな賞を受けました。
川村: 「3作品の紹介」の資料にパドバ、芸術祭をはじめ『生命』の受賞歴が載っています。
*****受賞歴********
1970 ベニス・パドバ国際科学・教育映画祭 自然科学・生物部門 第一位賞
1970 科学技術映画祭 優秀作品賞
1970 芸術祭 優秀賞
1970 日本紹介映画コンクール 優秀作品賞
1971 モスクワ国際映画祭 特別招待
1971 ユーゴ・ニコラ・テスラ国際科学映画祭 金賞
1971 リオ・デ・ジャネイロ国際科学映画祭 金賞
1971 国際科学映画協会キエフ大会 特別招待
1972 インド家族計画全国大会 特別招待
1976 ジョン・ミューア・メモリアル・ホスピタル医学映画祭 入賞
1987 北京国際科学教育電影大会 栄誉賞
日本医師会推薦・日本映画ペンクラブ推薦・文部省選定・優秀映画鑑賞会推薦

上田: 先ほど伺いましたら、アメリカのTime誌にも掲載されたとか。そこに不思議な経緯があったということですが。
川村:









世界中で受賞、賞賛され、大騒ぎになって、パリマッチやシュピーゲルなどにも取り上げられたのは聞いていましたが、後日談として、不思議な話が二つほどあります。
 これは1974年6月24日のTimeという雑誌です。内視鏡のような図解が載ってます。途中に”The Beginning of Life” (『生命』の英語題名)とあり、さきほどご覧になったのでおわかりの通り、着床や胎児、『生命』の映画からの写真なのですが、天地や左右が逆だったり、今回、記事を訳してみたのですが、撮影方法についての説明もいい加減。不可解です。
 もう一つ、Timeが1975年に出したNature/Science Annual 年鑑でしょうか。ここに出ているのが林基之さん、クルドスコープという内視鏡を構えています。写真はやはり裏焼きになっています。しかも、どちらにもシネ・サイエンスの名前も、スタッフの名前、武田純一郎の名前もない。そして、日本の産婦人科医の林基之が内視鏡を使って人体で撮影したように書かれていますが、それはありえません。なぜこういう紹介のされ方なんだろう。そして、70年に映画が完成していて、なぜ74年なんだろう。
 ただ、会社にはプロデューサーが作ったTime誌の別刷が大量に残っているんです。きっと宣伝に使ったのでしょう。
 もう一つの不思議は、アメリカにもかなりプリントが売れたようです。35mmのプリントが30数万円でしょうか、高かったと思います。にも関わらず、会社にはお金が入らなかったという不思議です。
武田: あのまあ、僕らはイメージでリアルなものをもう一つ、リアリティある状態で、いのちのイメージで撮ったということですね。別に実験した訳でも、科学的に撮っているわけでもないんです。環境を作って撮っているんです。だから、パドバでは受賞したし、他でもたくさん賞をもらったけど、科学というか実際やっている科学者と、お話としてイメージとして作った僕らとは関係ないんです。だから、僕はTimeも見る気はなかったし。本当とはどういうことか、美しさとは。
上田: でも、この記事は、間違いもいろいろあるし、大事な制作スタッフのことも出さず、宣伝パンフレット的に使われたということですね。
武田: それにはもう一つ、彼らのやりたいことというか、医者のグループの訳があり、それにプロデューサーも乗ったのか、乗せたのか協力した訳があるようです。
川村: 調べて年代順に並べてみたら、たぶんこうだったのかなと思われるのが、1960年代から70年代にかけて、日本の不妊学界や体外受精研究をリードしていたトップ2の一人が林基之さんだったようです。そして、1970年に『生命』が完成。1971年には、イギリスのR.G. エドワースさんが国際不妊学会で、この年は日本で開かれたのですが、来日されて体外受精の研究について講演された。それをきっかけに日本でも体外受精について研究者の関心が高まった。
 そして、1974年、あのTimeの記事があります。で、78年には世界初の体外受精児、覚えている方もいると思いますが、ルイーズ・ブラウンさんが誕生した。それはさっきのエドワースさんとステプトーさんたちのチームですね。それが2010年のノーベル医学生理学賞につながる。
 ついでに言えば、さっきの映画のエンドタイトルに学術指導の一人で出てきていた鈴木雅洲さんが、それを追いかけて5年後、日本で初の体外受精児を誕生させていることがわかりました。おそらく、そういう日本とイギリスというか、学界の熾烈な競争があって、彼としては、映画『生命』を利用してでもアピールしたいというのがあったのではないですかね。
 ただし、調べてみたら、林基之さんご本人は、78年に世界発の体外受精児が誕生する1年前、1977年に64歳で急逝されていることがわかりました。
上田: なるほど、ミステリーっぽいですね。
川村: 因みに1982年にTime Lifeが出した別の本(Photography as a Tool)には、撮影・武田純一郎の名前で『生命』からの写真が4頁にわたって載っています。内容は一部、不正確なんですが。
武田: もう一つ、わかったのは、『ネズミ(染色体に書かれたネズミの歴史)』で芸術祭を獲れと言われて、当時、なんで突然、そういうことを言われたのかわからないんだけど、まあ35mmで撮らせてくれたら、芸術祭も獲ろうと頑張ったんだけど、なんで、プロデューサーが「金を出してやるからそれやれ」、と僕に言ったのか、なんかもう一つ・・こちらは映画を作るとなると夢中になるから・・
上田: ああ、そうか。仕事に掛かり切りにされて、海外でどんな風に『生命』が使われているのか、見る余裕もなくなるみたいな・・
武田: それで、あとで、欧米にも行く機会があって・・『生命』をアメリカで販売してくれたアメリカのピラミッドフィルムに寄ると、向こうが僕に感謝してくれる。「ものすごく金がもうかったのはあなたのおかげだ」と。ピラミッドの形の社屋を建てて、その中に小川が流れている、オーソン・ウェルズだの映画人を招いて、ここで1年に何回かパーティするんだと言う。なんか、乗っけられたような気がして・・
川村: 他にも、1976年に『薬と人間』のイギリスロケで、ホテルに戻ったスタッフがたまたま付けたBBCテレビに『生命』が流れていて、びっくりしたり、でも嬉しかったとか。1980年には『人間』のロケで、西ドイツ・マンハイムの病院に出産を撮影にいったら、産科医が「俺も一つ日本の科学映画を知っているよ」と見せてくれた彼のロッカーには『生命』の写真が貼ってありました。
上田: アメリカなどでこの映画は作った本人が知らないまま、ものすごく出回って売れて、ピラミッドフィルム社などは儲けてしまったということがあって・・アイカム社の武田さんの映画作りのまじめさと、その裏で・・ギャップを感じるおかしな話なんですけど・・今さら掘り返してもしかたないのでしょうが、なんか釈然としない気持ちがします。
 みなさんどうですか、今日3本見られて、アイカムの話を聞かれて、なにか聞きたいことがあれば、いかがですか。
参加者M: 臨床でいろいろ映像にするのは昔はすごい難しかったと思うんですが、体の中を撮るというのは、どういう感じでやったのか、知りたいです。
上田: いや、基本的に、武田さん、これは、実際に写しているものは、マウスとかですよね。
武田: そうです。ラットやマウスです。
上田: 細胞はその動物の細胞を培養し、組織を写す場合は動物個体を使ってということですね。ほ乳類だから基本的には似ているから、人間の体もこうではないのかなというところで理解していただければいいかなと思います。
参加者SM: アイカムという会社は私も知らなかったのですが、この会社を作ってよかったなあと思ったのはどんな時ですか?
武田: やはり、仲間と、スタッフと一緒にやってこれたこと。映画スタッフというのは、一緒にものを作っていく、一緒にイメージを共有していく、それができた時にとても嬉しい。仲間と映画を作る幸せ。それが一番。
 『生命』は断片を撮ってつないでお話しています。だけども『AF2 (脅かされる食生活)』などは、実際のものを実験しながら、顕微鏡でやっているわけです。一番最初の『胃を科学する』をご覧頂きましたが、本当に世界で胃袋の中を顕微鏡で覗いたことがなかった時代ですよね、そのあと、胃のしくみだとか、いろんなことを我が社の別のスタッフが撮って、賞をもらっています。胃の組織をずるずる引っ張り出して、分析して説明しています。これはこれでいいと思うんですが、『生命』の場合は、本物を使って撮っているけれども、要するに、過程が、いのちってこうだろうという、嘘を言っているわけではなく、ストレートに撮って行ったものを並べただけですよね。
 イメージというのは大切だと思います。科学でも、理屈ばかりでなく、理屈が良ければすべて良しということではないんですよね。だから、そこのところがNHKの人などといつもぶつかる、倍率などスーパーを入れないとおかしいだろうと言われる、だけど本当はスーパー入れなくてもわかるように作ればいいのだし、そういう意味でドーム映像で表現している。何を伝えて行けばいいのか、理屈を伝えて行けばいいのか、一つの情緒を伝えて行けばいい。それは同じだと思うんですね。理屈は理屈で納得する人はいるけど、一つの思い、一つの情緒、情感、そういったものを伝えたい。それができるならば、それは画と同じですよね。だけど、それが生きているもの、ほとんど同じこと、理屈なんですけどね。やはりきれいに、医者(先生)方にはこう撮れないですよ。昔から徹夜して細胞なんかを見て来た僕らだから、こういうふうだろうと。やはり、なんで、スポンジで受精卵を撮影したか、これは簡単なことですよね。今、考えれば。今、畜産など動物の人工授精で育てているところでも使っているといいますが、最初、思いついたのは、やはり僕らですから。その方がいのちの環境だろうということで、そういう環境を整えてやるから撮れる、全然別なものを貼付けて表現しているわけではない。

参加者KK: 『生命』がアメリカで儲かったというのは、おそらく教材としてたくさん使われたと思うんですが、企画する段階で、やはりターゲットみたいなものは考えていたのですか、それともそれぞれ見る人が自由につかめばいいという発想で作られるのでしょうか。
武田: あの、要するに、マクロコスモスで月に行って地球を見たい、月に行きたい、この1~2年の間に話題になってそういうイメージをもっていたんですよね。僕らも体の中で、こうなっているんだ。細胞、組織、動き方、そういうのをずっと見て来たわけですよね。僕らは、徹夜して、ずっと見て来た。だから、こういう状況だろうということは想像できる。イメージできる。だから物語は変えてなくて、ストレートにつながっている。だから、みんな納得するわけです。  僕も娘が中学生になった時には『たまごからヒトへ』という性教育の映画を作りましたが、宗教団体の婦人部に行って、性教育のためにこういう映画が作りたいと話をしたら、「金出しましょう、名前は出さなくていいですよ」と。そしたら、文部省も金だしてくれたし、あちこちで出してくれた。それは、嘘のつけないところではアニメーションで、全部リアルに使っている。
 科学というのは、理屈だけでいいのか。武見太郎さんがよく「治療が、医療ではない、医者の役目ではない。生きる気持ちを支える、生存の秩序と理法、もっと大事なものだ」とよく言ってましたし、そういうことだと思うんです。
上田: ご質問いただいたことに、付け加えて私なりに解釈しますと、おそらく、ありのままを撮っているということから、教育にも、科学の探究にも使えるし、一般の人が見てすごく美的な感動もある。本当に何にでも使えるところがあったのではないかという気がするんですね。
参加者KK: 映像なんか、まさにそうですね。美しいイメージでとらえている。
武田: だから、だましているわけではなくて、きれいに、何を与え、どういう情感を与えるように撮るか、が大切だと思っている。
参加者KS: 今のことに関連して、さっきのお話では、はじめにどういう想いがあってこういう映画を作られ、あとからスポンサーがついたという形ですよね。先にこちらにイメージがあって、作られたものに、後からスポンサーがついた。もともと、それが基本ですか。
武田: ぼくたちのチームが、こういうものを作りたいな、というイメージがあって、そして作ったんです。
上田: この作品はまさにそうですよね。もちろん、製薬会社に頼まれて、これこれとPRになるものを依頼されて作られることもある、という両方あるでしょうが、この作品『生命』についてはお話されたとおり、自ら先に作りたいものを作ったんですね。
武田:
科学はこうだ、という決めがあるからですね。芸術はこうだ、という決めがあるから。でも、本物が届けばいい。届けばいいというのは無責任に聞こえるかもしれないけど、今、漫画が大流行りですけどね、真実が届けばいいんじゃないですか。
参加者SM: こういうものを撮る、それにはある仮説に基づいて、シナリオを作ってということもあると思うんです。作品によっては・・ただし、その仮説が正しいかどうかはやってみないと分からない。ということはありましたか? 要するに、仮説が間違っていて、結局、失敗しちゃったとか。
武田: いや、僕らのチームは実際のものを、ずっと見て来たんですよね。こういうのを作りたいと、別に間違って作っているわけではない。記録しているだけです。だけども美的に記録している。だから、卵割も、2、4、8とみせるけれども、そうでなくてもいいんです。
上田: そのへんどうですか? 私は第1回、第2回の映像をみて、実験をするのと重なった映像の撮り方もありますよね。その実験を通してこういうことが見えて来た、というのを映像で撮っていらっしゃるのも多いと思います。
武田: だけども、この『生命』は、実験しています、とは言っていないです。
上田: 言っていないですよね。
武田: こういう状況で、これを区切って、つないでいるんですよ。実験観察して、見ているのは、前の『胃を科学する』や、後の『胃』のように一つの組織をずるずると引っ張り出して傍細胞・主細胞をみる、これに薬を入れるとどう反応するかとか。そういうのもありますよ。
川村: その時々、作品ごとに作り方はあります。
上田: 製作している中で、上手く行かなかった失敗の話はあるとは思うんですが、完成された作品は、仮説的なものを立てるにしろ、あるいは現象そのものを見せるにしろ、やはり私たちに提供されるのは真実として認識できるものではないかなという気はします。
参加者SK: 武田さんがこの50年間、記録映像ではなくて、科学映画を作ってこられた、一番、伝えたいと思っていたことは何ですか。映像作品として。
武田: いのち、ということですね。アイカムと名前を変えたのもそうです。この膜分子を境にして、一つのいのちができているわけです。だけども、科学ということで、解剖学的に、機械論的にそういうものを切り開くのとは違う。
参加者SK: 川村さんに、これからどういう映像、映画を作られて行くのか。
川村: とにかくここでドーム映像の第1話と第2話を作って、まずは第3話を作りたいなと思います。どんなテーマなのか、武田とも話しているんですが、第1話で私のいのちのはじまり、第2話ですべてのはじまり、私たちも宇宙から来たのだ、ということで地球の誕生、人間の誕生まで。だから第3話は、私たち人間がどう生きるんだろう、人はどう生きなければいけないんだろう、ということに挑戦するのかな、と思っています。
武田: このごろ言われるのは、日本の、家族という集団、それが一番、人間らしく生きるにはいいのではないかと言われますよね。それはそう思います。
上田: そういう人間愛的なものを含めて表現したいということですね。
武田: 映画のスタッフというのは仲いいんですよね。アイデアを出し合って、お話を作っていきますから。いい関係を作って。
上田: なかなか話尽きないのですが、時間にもなりましたのでこの辺で終わりにします。  (拍手)
川村:
次回は会場が変わります。移転先になりますので、仮のチラシをお渡ししておきたいと思います。アレルギーをテーマに、国立成育医療研究センターの斎藤博久先生をゲストにお招きして行いたいと思っています。
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