●アイカム50周年企画「30の映画作品で探る”いのち”の今」 第5回 歴史の中の医療 そして、細胞空間からみた 宇宙の中の生命
<2018年12月22日(土)>
上田:
みなさんこんにちは。年末のお忙しい中、ありがとうございます。アイカムの上映会、4月から隔月で進めてきまして、順調に今回で5回目になります。
私は進行を担当しますNPO法人市民科学研究室の上田と言います。今日は少しこじんまりした会になっていますので、映画を2本見ますが、終わってから時間が取れると思いますので、みなさんとお茶でも飲みながらゆっくり語り合いたいなと思っています。よろしくお願いします。
みなさん、アイカムの他の映画をみた方は気づいていると思いますが、基本的にはアイカムが研究者のやったいろんな仕事を、特定なテーマの科学的な中身を映像で追っていくというタイプのものが多いんです。ですから専門性の高い映像が多いわけですが、今日の映画は一般向けです。切り口もそれぞれ違っていて、非常に楽しめるのではないかと思います。
一本めは『薬と人間』というタイトルで、私たちが当たり前のように使っている医薬品の歴史を辿ります。薬はどういうところから生まれてきて、どこに行こうとしているのか。歴史をたどっていくことで見えてくるのではないか。ということで、他ではなかなかみられない映像ではないかと思います。
もう一本は、『Cell Universe』というタイトルで、細胞を一つの宇宙と見立てた時に、どんな風な捉え方ができるか、ということの映画です。それぞれ始まる前に、川村さんからおおよそどんな映画かということを簡単に説明してもらって、その後、ゆっくりみて、見終わりましたら、質疑というか少し意見交換したいと思います。
今日は、専門のゲストエキスパートを招きたかったのですが、ちょっと体調がお悪くご無理でした。それといつも一緒にやっている会長の武田さんが足をくじいて今、病院にいらっしゃるので、残念ながら今日は出席できません。その辺、ご了承いただいて進めていきたいと思います。
では、1本目の映画について、川村さんからどうぞ。
川村:
株式会社アイカムの川村です。いろいろ紹介するより、見ていただいた方が早いかと思いますが、アイカムは、1968年創立、最初いろいろ苦労もあったようですが、顕微鏡撮影を得意として映像を制作してきました。その中で、最初に作った作品が『胃を科学する』でしたが、日本医師会の推薦をいただきたいと医師会館に武見太郎さんという当時の会長を訪ねていきました。有名な方ですが、その方が映画を見てすごく気に入り、今日は残念ながらここに居ない、会長の武田純一郎を気に入って、「また、映画を作ったら見せにおいで」と言われたそうです。そして、武見さんが亡くなるまで、ほとんどの作品を見てくれたそうです。で、その武見さんが武田に紹介してくれたのが、当時、日本で一番大きかった薬問屋のスズケンさんでした。考えてみたら、今日の映画、両方ともスズケンさんのスポンサードですが、その長編一作目が『薬と人間』です。
古今東西、人間は薬と深く関わってきたわけですが、そういうことをテーマに作られた映画で、見終わってからまたお話しさせていただきたいと思います。1時間ほどの映画です。
上田:
みなさん、いかがだったでしょうか。いろんなことを考えさせてくれる映画だったと思います。次の映画に移る前に、休憩兼ねて、何か質問などあれば言っていただければと思います。
川村:
アイカムの最初の映画『胃を科学する』が認められたのは、パドバ大学です。ベネチア国際映画祭の医学映画部門が行われるのですが、ここで認められたのです。先ほどの映画で出てきたように、12~13世紀に世界で初めて作られたのがボローニア大学で、パドバ大学は二番目くらいに作られた大学です。『薬と人間』の撮影隊がパドバ大学を訪れた時、かつて遺体を密かに運び込んだという解剖学教室も、本当はいろいろ許可が面倒くさくてなかなか撮らせないらしいのですが、ここの大学の映画祭でグランプリを獲ったことを知って、係員が「じゃあ、撮っていいよ」ということもあったと聞いています。
あと、ご紹介したいのは、監修された小川鼎三先生、この方は、東大を退官されてから順天堂大学で日本初の医史学の研究室を開いた方ですが、また、石橋長英先生や木村康一? 先生も認めてくださったのは、現物を見てきたこと。スズケンさんの意向としても「現物を見たい、現物を撮ってらっしゃい」と。絵で描いたりするのではなくて、できるだけ、現場に行って探してらっしゃいと。だから、スタッフとしても万能薬と言われたテリアカや、ジェンナーの種痘小屋も出かけて行って探し、その中で特に「牛痘法と言われた、種痘を日本に伝えた<北回り>ルートを見つけた」こと。南回りルートはよく知られていたのですが、北回りルートは知られていなかった。それを文献から探し出して、紹介したということで医史学の先生方も非常に喜ばれて認めてくださったそうです。
また、この映画が作られて、当時、医薬に関わる人たち、創薬や製薬に関わる人や、調剤に関わる薬剤師さん、薬を販売する人々などが、いろんな機会に見てくださって、「自分の仕事にとても誇りが持てました」という声がたくさん寄せられ、とても大事な仕事なんだと見直す、そういう役割も果たしたようです。
スズケンさんとのおつきあいは、この作品を最初にずっと続きまして、『薬と人間』は医薬の歴史を比較的オーソドックスに描いていますが、次に『人間』という映画を作り、そのあと、医薬の裏面史みたいな、表舞台だけでない、ホメオパシーや代替医療的なものを含めた『薬』という長編映画も作っています。これが三部作構想で、そこまで十数年かかったのですが、『薬』の制作途中に、応援してくださっていたスズケンの社長(のちに会長)の鈴木信次さんが40代の若さで急逝され、完成を見てもらえなかったのが残念でした。
上田:
そうだったんですか。薬学の歴史というか、その周辺の文化的なものも含めて世界のいろんなところに取材して作っている映画だということがお分かりいただけたと思いますが、今、私は医学生・薬学生とも付き合いがあって聞いてみるのですが、医学や薬学の歴史をきちんと勉強する機会は意外とないんだ、ということです。今日、出てきた歴史的な事実も、医学・薬学をやっている人が知っているとは限らない、ということもあります。こういう映画を、やはり、一般の方とともに、専門の方も見てみるのは必要なことではないかなという気がします。
また、この映画の指導にあたった先生たちのなかに酒井シヅ先生の名前がありましたが、その方が尽力されて順天堂大学に2014年にできた「日本医学歴史教育館」は、日本に残っている貴重な医学の歴史史料を公開しています。毎日開館しているわけではないのですが、予約して見にいくと、日本に残っている貴重な医学の歴史史料が残っていまして、一渡り歴史を確かめることができる場所になっています。皆さんも機会がありましたら行って見られたらと思います。
上田:
それでは『Cell Universe』という映画です。ガラッと雰囲気は変わりますが、川村さんから一言。
川村:
これもスズケンさんですが、『薬と人間』は1977年の映画で、1982年には『人間』という映画を作り、そのあと、3年ぐらいかけて『薬』という映画を作る予定で一部撮影に入っていたのですが、その間に1985年につくばで科学万博がありました。それにスズケンさんも出展することになって、スズケンと大塚製薬とデサントでしたか、三社で健康スポーツ館という一つのパビリオンをもち、全体の映像展示もあったのですが、それとは別に、各社の、スズケンさんは真ん中のブースに出展することになりました。最初は電通に頼んだのだけど、スズケンの鈴木信次さんの想いを汲んだ案がなかなか出てこない。それで「武田さんきてくれないか」と、映画『薬』の製作中だったのですが、それは後回しでいいからと呼ばれて(笑い)、全社挙げて、1985年のつくば科学万博の展示・映像を手伝うことになったんです。
そこで、武田が提案したのが、「細胞空間」=Cell Universeという空間構想です。一つの部屋全体を細胞に見立て、細胞に見立てると真ん中の球が核になり、全体を宇宙と見立てれば、真ん中の球は地球である。その地球は、いのち、胎児を宿しているという大きな構想の元に作られました。
あと、それまでの万博は、大阪万博もそうですが、企業のパビリオンはアトラクティプな見世物が多かった、あまりテーマ性を持った展示はなかったと思いますが、この時はぜひテーマ性・思想性を持ちたいと「科学に愛の心を」というテーマを掲げて表現したんですね。そういうテーマ性を持っていたので珍しいと注目されて、次の万博開催予定のカナダかな、関係者が視察にもきました。一つには、科学って自分たちにとって何なのだろう、という思いも込めながら、事後、ただの開催記録ではなくて、そのテーマを表現として作られた映画です。
■ 映写 1988 『Cell Universe』 34分
上田:
やあ、なんというのか、独特の映画ですよね。いのち、そのものをテーマにして、ブースそのものを作られたわけですよね。パッとみる限り、いろんな照明とか、ものの配置とか、形とか、それとたくさんのマルチ画面が並んでいて、全部で一つの映像を写したり、部分で分けて写したり、で凝った構成になっている・・・かなりこれは準備というか技術が要るものだと思うんですが、大変だったんじゃないでしょうか・・・そのあたりもアイカムが担当して全部やったのですか。
川村:
そうですね。大変といえば大変でした。具体的に造形物を作成するとかは、それぞれの工場に協力して作ってもらいましたが、実際にそれをデザインして、考えてという構想・設計はこちらでやりました。一例あげると、各国語で「人間」という文字を敷き詰めた「光床」と呼んでいた部分を作るために、今みたいにパソコンでパタパタっと調べられる時代ではなかったので、一つ一つ大使館に電話かけて教えていただいて集めました。
上田:
えーッ、そうだったんですか。
川村:
そういうことまでやって、とにかく全社挙げてすべての造形物も作りました。いずれ、武田が若い頃に芝居をやっていたものですから、舞台美術の丸田道夫さんや照明の山内春雄さんなどの仲間や、音も音像移動を佐藤慶次郎さんに協力してもらって、いろんなスタッフに声かけて、造り上げました。
上田:
なるほど。
川村:
それとマルチ画面の話も出ましたが、今見ると、画面と画面の間の目地、縁が太いんですね。4〜5センチもあってびっくりしますが、今ならほとんど隙間なくできると思いますが、当時はあれが精一杯。最先端。あれで27面並べて作りました。
とにかく3月から9月まで半年間の会期がありますから、リピーターで訪れる方もいらっしゃるわけですから、目いっぱい盛り込み、作り込んだ感じもあるかなと思います。準備期間としては、前の年からずっとやっていました。
上田:
もう一つ聞きたいんですが、会場では女声ナレーションが流れていました。またこの映画は、会場全体を写して男声ナレーションの流れる、つまり、会場がメインに出てくる映画だったと思います。では、会場に実際に見にきた方は一渡りナレーションを聴きながら全体を見渡すという感じだったのでしょうか。
川村:
1サイクルが7分のパフォーマンスでした。メインの27面マルチ映像が4分間、そのあと、地球が降りてきて、照明も切り替わり、背面のサブの映像、医療の曼荼羅という9面の最先端医療技術を紹介する映像が始まる。会場では女性のコンパニオンが生の声でナレーション解説していました。
これは記録映画として、現場で記録は撮りましたし、会場全体は観客が入る前に撮りました。でも、ただこういうものがありました、という記録映画にはしたくなかったので、そこに込めた想い・テーマを映像で描くようなものにしようということでした。
宮川:
ナレーターは野沢那智さんですね。今日の二本は、どちらも野沢さんです。
川村:
ナレーターは野沢那智さんで、いわゆるコンパニオンの解説部分は、現場ではコンパニオンがやりましたが、映画では野沢雅子さんですね。アニメの声などでお馴染みの。
ST:
叫び声があったんですが、あれは出産の場面の声ですか? そうですね。ちょっときつかったんですが、あれを入れられたのは、やはり、生命の・・
川村:
そうですね。マルチ画面で出産シーンが出てきたとき、片方でチンパンジーの出産、あれもスズケンさんの熊本の飼育施設に実際、撮影に行った映像ですが、もう片方の生まれたばかりの赤ちゃんを抱いている女性、フランスで撮影したものですが、その方の出産時の声です。『人間』という映画で、各国で生まれる赤ちゃんを撮影したいということで、フランスでもいくつか撮影して、これは本編には入らなかったのですが、印象的な出産でした。
あの声には賛否両論あるかもしれませんし、特に女性の方は出産時を思い出してしんどいなあと言われる方もおられますが、一つ一つのいのちが産みの苦しみを超えて生まれてきた一人一人なんだよ、ということもあるかなと思います。
上田:
なかなかこういう類の映画を作るということ、そのものが非常に稀といいますか、珍しいことではないかという印象を持っています。つまり、生命現象って、ものすごい多様ですよね。それをできるだけ集めて見て、何か感じ取ってもらおうという意図が感じられる映画だという気がします。
上田:
みなさんいかがでしたか? この作品には、実写が入っていたり、グラフィック、アニメーションもあって、いろんなものを組み合わせた映画でしたが。
飯沼:
自分では質問できないんですが、今日、質問してくださった方が、ああいうこと質問してくださって、そうそうそういうことを聞きたかったと思って、すごく良かったです。
最初の『薬と人間』は、薬学の人とか、医療関係の人にすごく見てもらいたい映画ですよね。私たちは、ああそうかと思って見るけど、そういう勉強している方にとっては、役に立つ、ああいう風にして薬はできてきたのかということがすごくわかるから、見ていただいたらいいのかなと思いました。
上田:
実際、私は断片的にしか知らないのですが、医学の歴史の教育は大事だと言われながら、それを教える先生が授業を受け持って、1年生なり2年生なりを教えるということが意外と少ないらしいです。私たちの事務所は東京大学が近いものですから、東大の医学部って、実は、いろんな医学者の銅像がいっぱい立っているんですよ。みなさん、行かれたことはありますか?
例えば、日本の近代医学はドイツから有名な医学者を招いて始まったので、最初の授業はドイツ語だったんです。ベルツとか、スクリバとか、それぞれ立派な銅像があるんですよ。ところが、今医学部で学んでいる人はほとんど素通りで、この先生なんだろうな(笑い)ぐらいの感じでしか見ていないので、大変もったいない。そこで、医学部キャンパス周辺をぐるぐる40分ぐらい歩いて銅像などを巡るうちに、日本の近代医学の始まりがわかるような物語を作ったんですよ。それを新しい技術であるGPSと結びついた音声ガイドシステムを使って、その場所に行けば、自動的に音声が聞けるというツアーを作ったんです。それを何人かの東大医学生に聞いてもらったら、みんなすごい喜んで(笑い)、その拡張版を「来年からそれ僕たちにやらせてください」ということで、実は今、プロジェクトが動いているんです。
ですから、アイカムのこの映画を含めて、見せたらすごくいいと思うんですよ。すごく反応すると思います。 (そうでしょうね)
それが刺激になって、東京駅のすぐそばのKITTEの中に、郵政の博物館が?
あります。その一画に東大医学部の歴代の先生の肖像が架かっているんですが、今年10-11-12月と一回ずつ、東大の医学部の若い学生たちがその肖像画を見せながら、自分たちの知っている医学の歴史を語る催し(ギャラリートーク『医学生と観る「医家の風貌」展』)を、ついこの間、やったんですよ。二人組であるいは三人組で学生さんが対話するような、ちょっと演劇的な形で行われて、聞いた人も感心していました。
IY:
勉強している人はわかるけど、一般の人は全然わからないから、ああいう仕事に携わっている人、医学とか薬学を勉強している人たちは、せめてみんな、こういうことなんだと把握してもらったらすごくいいですよね。
上田:
仕事に幅が出ますよね。
IY:
一般の人は知る機会がないですものね。今の若い人たちにはいっぱい勉強してもらいたい。わかってほしい。
YH:
『薬と人間』は1977年の作品で、結構前なのに、随分いろんな史料を集められて、だいぶ苦労されて作られた映画なのかなと思って見ました。結構、時間はかかったんですかね。
川村:
ヨーロッパのロケーションに一ヶ月くらいかかっています。企画から制作・完成まで3年くらいではないでしょうか。当時、あまり資料がなかったのと、ジェンナーの種痘小屋にしても壊れそうな藁小屋で、華岡青洲の史跡も、訪ねて行ったら、ちゃんと顕彰されていなかったとか、当時はあまり充実していなかったようです。逆に、この映画ができて、関心持つ方もいて、JTBがお医者さんの史跡ツアーなど組んで(笑い)、ハイデルベルクの薬博物館などを巡ったらしいです。今では、ジェンナーの史跡も立派になり、華岡青洲の史跡も立派な記念館や公園みたいになっているとか。そういうお役にも立ったようです。
上田:
ある意味、先駆的だったんですね。(笑)
YH:
まだまだ十分、史料的価値のある映画ですよね。本当にいろんな人に見てもらった方がいいですね。よく歴史がわかって嬉しかったです。
MT:
私は、いたばし産業見本市で、アイカムさんの展示ブースでチラシいただいて参加したんですが、細胞のきれいな動いている像が魅力的に見えたので、映像を見ていると癒されるというか、人間の体ってすごいなという印象も受けましたし、今日の映像を見ながら、生命の神秘というのが本当にそうなのだなと思いました。
上田:
そうですね。本当に単純なことですが、私たちのいのちがどのように形作られて、どう維持されているかということ、それを正確に正確に辿って行って、それを見せただけで、その不思議さに感動しますよね。そこらへんがすごく面白いなと。
女性の出産のシーンとかいろんな映像が出てきましたが、みなさんがいのちについていろんなイメージを持っている中で、共鳴したりする部分もあったかと思うんですが・・
FY:
二本目の『Cell Universe』は芸術作品だと思ってみていました。科学映画というより、芸術作品だなあと思って。
上田:
そうですよね、アートの要素が強い。
FY:
その考えのメッセージ性も受け取りました。
ただ、さっきおっしゃっていたように、ほんの数十年前のことなのに、画面の間が広いと。そこから、今では遺伝子操作の時代に入っていて、この二、三十年の変化、それを進歩というのか、発展というのか、そのスピードに追いついてないなあというのをすごく感じて、あの映画自体はその頃、とても最先端の映画だったと思うんですよね。でも今から見ると、画面の間が広く開いているということに一つ象徴されるように、すごく進んじゃっているなあと思います。
上田:
アイカムさんの映画は今まで何本か見られた方はご存知だと思うんですが、すごい実写映像にこだわっていらっしゃるんです。今は、CGコンピュータグラフィックが進んでくると、本物なのか、作ったものか見分けがつかない感じになってきていると思うんですが、やはりそこは、実写を尊重して撮っていくという姿勢が、より価値が上がってくるという風に思うんですが。
FY:
一本目の『薬と人間』で、一人の人がすごく大きい装置で細かいものを見ているシーンがありましたが、こんなにすごい装置ができても今なお、生きている細胞を見ることはできないのだという言葉があったと思いますが、あれって、今でも、そうなんですか。
川村:
あれは、1970年代の電子顕微鏡装置で、数階建てくらいの巨大なものでしたが、今なら、同じ倍率でももっとコンパクトな装置になっていると思います。ただ、電子顕微鏡で見るためには真空状態に固定して見ないといけないので、生きた細胞を見ることはできないという解説だったと思います。
FY:
それは生きていないということですか。
川村:
そうですね。普通の光学顕微鏡で見るには、光で見るので、光が透過しないと見えない。培養した細胞など、光が透過すれば、光学顕微鏡を使って、生きた状態で見ることができますが、もっと倍率を上げて電子顕微鏡で見たいという場合は、電子線で見るので、細胞そのものを固定しないと見られないため、生きた姿では見られません。
FY:
生の体の中で見ることはできないということですよね。死んだものを見ているんですか?
上田:
生きたまま見たいという場合、光学顕微鏡では、生きた体の組織をうまく取り出してきて、死なないようにうまく培養したり、生きたままの状態を見ることは、ある程度、できるんですが、それをさらに何百倍・何千倍も拡大して見たいとなると、無理なんですね。そうすると電子顕微鏡で見るために、いったん標本にするために、細胞を殺さざるを得ないんです。固めて、スライスして見る形になるんですね。
ST:
西洋の血液標本をどうやって作ったか、という謎がありましたが、あれと同じなんですね。絶対生きたままで見られない。
川村:
私自身は、『薬と人間』は制作自体には携わっていないんですが、入社前に日本語版が完成していて、その後、英語版・ドイツ語版・フランス語版の制作を手伝いました。
細胞空間、『Cell Universe』の方は、DVD化するときに、英語版にしようかという話もあったけど、フランスにアイカムを手伝ってくれている人がいて、どの作品をフランス語にしたいかと聞いたら、『Cell Universe』だというので、フランス語版にしました。ですから、今、市販しているDVD-Bookには、日本語版とフランス語版が入っています。で、なぜかこれがフランスの図書館でポツポツ売れているんです。随分前の作品なのですが、どういうところがフランス人の興味を惹いているのか。みてくださっているらしいです。
上田:
前、武田さんが持ってきてくれたR.D.レインの『生の事実』(みすず書房、原題The Fact of Life)もこれに関係する写真ですか?
川村:
直接、これとは関係ないのですが、テーマとしては一貫していると思います。うちの会社紹介にも出てくるこの胎児と、着床の写真があるのですけど、もともとアイカムは、創業者の武田純一郎が『生命 哺乳動物発生の記録』という映画を作ろうと仲間を集めて創った会社ですが、このイメージが世界中いろんなところで見られていたようで、R.D.レインというイギリスの精神科医から、精神病理・精神科学や哲学を含めて進まれた方で、著書もたくさんあるんですが、その一冊の『生の事実』は、この映画を見て、強く影響受け、刺激を受けて、書かれています。
YS:
『薬と人間』は、時代を感じるということはなかったし、薬が作られるには長い歴史があってということも、パドバ大学の教授の頭蓋骨も確かにそうなんだ、面白いと思ったし、血液の話も面白かったんだけど、『Cell Universe』の方は、僕はなんとなく醒めてしまう。いくつかのイメージが重なって表現されているというのは、話がちゃんとしているのだから、一つのイメージであった方がいいなあ、いくつも重ねてもイメージが広がらないのではと思いました。映画ではストーリーがよくわかるけど、あの空間では、見るのは一つなんだから。
川村:
万博の展示映像は、ある空間に(映画館のように)観客をある時間だけ入れて、1回ごとに入れ替える形のものもあるのですが、ここ細胞空間では1サイクル7分間ですが、入るのも自由・出るのも自由の形でした。なので、長く滞在する方もいれば、すっと出て行く方もいる。
上田:
作り込みの工夫もあったんですね。すぐ出てしまう方も、じっくり見る方も、見る方によって違うんですね。
IH:
今日の感想としては、フランス人の母親が子供を抱いているのを見て、ああこの子が生まれる時のそうなんだとは思ったけど、ああいう異様な声をするのかなと。男として、初体験で、ここまで獣的な声を発するのかと思った。
それと、いろんな形でいろんな人が新薬を発見し、作っていくのだけど、最近、ノーベル賞を取った本庶佑さんが小野薬品にちょっと嫌味を言っていましたが、世の中が資本がそうなのだから仕方ないけど、国が力足りないなあと思います。日本人が明治以来、いろんな形で側面協力してきたのに、今、最先端に行こうとしている部分で足引っ張っているのが、国なり、製薬会社なり、利益追及にだけ走りすぎている面がある。製薬に対する資本投資する部分の面はやはり国が保証しないと育っていかないのかなあ。結局、育てるのはアメリカがみんな育てて、持っていく。遅れてはいけないよと、小野が参加したような形があったわけでしょ。その見返りが癌の薬がえらい高額になってしまったということがある。というように感じました。
上田:
なるほど、薬の人類史的なところを振り返りつつ、今の製薬メーカーのあり方とか、製薬研究のあり方ということで、各国でいろんな差が出ている、その中で日本はどうするんだという問題は残っていますね。
もっと素朴に言うと、薬の使い方という問題もあるじゃないですか。
ST:
私は、今日はそっちの映画なのかなと思って来たんです。(笑) 免疫療法とか、そういう映画なのかなと。
IH:
私の弟が大学の薬学の助教授だったんですが、小児用バッファリンが、頭痛でなくて、大人の何かに、効くのはみんな知っていたけど、なんで効くのかわからないんだよね、と言っていたんです。最近は分かっているらしいけど。薬の部分では、西洋薬でなく、漢方薬で治すとか。
上田:
その辺の、薬というと科学的に知識に基づいて作られているので何から何まで分かっているというイメージがあるけど、今のバファリンの例でもあるように、不思議な部分もあるんですよね。漢方もあり、西洋医薬もあり、両方使ったらいいような場面もあるのに、その関係はどうなんだ、となかなか今でも極められていない部分も大きいという気がします。
ST:
それから以前病院に掛かった時に、肝臓の悪い人に、とりあえず、全部の薬を抜かせるという治療をやっていたの。だからそういう最新式の治療のように、薬は危ない部分が多いのか、それとも出回っている薬はみんな適当なのよ、という人もいて、そうなると「薬って一体なんなのだろう」と。今日はそういうものを期待して来たんですが。
川村:
それならば、もう一つの『薬』という映画があるんですが、前後編で2時間、そちらも見てもらいたいです。例えば、プラセボ効果ってあるんですよ。気の持ちようではないけど、薬だと思えば、効く部分もあるわけですよ。しかし、それを無視して、科学ではちゃんと効果が計測できないと、薬として証明され認められないから、処方されないわけですが、それだけで果たしていいのかな。
『薬と人間』の最後も祈りが出て来ましたが、それは関係ないかといえば、関係ないわけはないんですよ。人間ですから。医学が本当に、科学だけでいいのかな、ということもあるし、そんなことをいっても、ニセ科学が出回っていいとは思わないけど。(笑) でも、そういう人間の側面を忘れないようにしないと、いけないだろうと思っています。
科学って、少し昔は、(架空の)理想的な空間を想定して、この空間でこういう条件ならばこういう法則が成り立つ、観測している自分とは関係なく、計算通り、こういう物理現象が起こるよとやっていたけど、でも、そんなことはない。結局、それを実験し研究する科学者自身もその空間の中に入って、関係し、影響しあって、物事は起きているということがわかって来ているので、そういうところも分かりながらやっていくのが、現代の科学ではないかと思いますけど。
上田:
そうですね。今日の2作品に共通していたのは、最後のあたりのメッセージかなと思っていましたけど。どんなに科学が進んでも、病を治すには祈りの力のようなものもあるんだよ、ということがでてきましたが・・・
IY:
やはり、心の問題ね。
上田:
ありますよね、それ。
YS:
こちらの二作目の映画にありますよね。植物も人間も、やはり生命は一つ、つながりあって生きている。もともと一緒のもの、という考え方が一作目にもあったし。
上田:
こういう映画って、専門家向けに作られる映画が多いことは多いけど、こうやって一般の人にも見てもらえる映画はあるわけですから、そういうところに医者や専門家が出て来たりして、普段なかなか言えないことも一緒にガンガン言うというのができれば、こういう映画の価値ももっと上がるのではないかという気もします。
IH:
見させてもらって良かったね。ようやく来られたんだよね。
川村:
次回は、2月23日(土)に『肺炎』と『呼吸』を見ますので、良かったらお出かけください。